・・・ 二 『八犬伝』および失明後終結『八犬伝』は文化十一年、馬琴四十八歳の春肇輯五冊を発行し、連年あるいは隔年に一輯五冊または六、七冊ずつ発梓し、天保十二年七十五歳を以て終結す。その間、年を閲する二十八、巻帙百六冊の・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 案の定東京へ帰って間もなく、武田麟太郎失明せりという噂が大阪まで伝わって来た。これもデマだろうと、私はおもって、東京から来た人をつかまえてきくと、失明は嘘だが大分眼をやられているという。「メチルでしょう?」 と、きくと、そうだ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・やはり、武田麟太郎失明せりというデマを自分で飛ばしていた武田さんのことを、その死をふと忘れた微笑を以て想いだしたい。失明したというのは、実はメチルアルコールを飲み過ぎたのだ。やにが出て、眼がかすんだ。が、そのやにを拭きながら、やはり好きなア・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・今年の春伯母といっしょにはるばるとやってきて一泊して行った義母は、夏には両眼失明の上に惨めな死方をした。もう一人の従弟のT君はこの春突然やってきて二晩泊って行ったが、つい二三日前北海道のある市の未決監から封緘葉書のたよりをよこした。 ―・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・わかいのに、失明するなんて、なんということだろう。こんな静かな晩は、お部屋にお一人でいらして、どんな気持だろう。私たちなら、侘びしくても、本を読んだり、景色を眺めたりして、幾分それをまぎらかすことが出来るけれど、新ちゃんには、それができない・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・下の男の子はそれほどでも無かったが、上の女の子は日ましにひどくなるばかりで、その襲来の二、三日前から完全な失明状態にはいった。眼蓋が腫れて顔つきが変ってしまい、そうしてその眼蓋を手で無理にこじあけて中の眼球を調べて見ると、ほとんど死魚の眼の・・・ 太宰治 「薄明」
・・・孩児の頃より既に音律を好み、三歳、痘を病んで全く失明するに及び、いよいよ琴に対する盲執を深め、九歳に至りて隣村の瞽女お菊にねだって正式の琴三味線の修練を開始し、十一歳、早くも近隣に師と為すべき者無きに至った。すぐに京都に上り、生田流、松野検・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・Bはよく説明してもらいましたが、脳炎などの後、本当に失明してしまうのは、視神経が萎縮してしまうので、眼底をみれば神経の束が眼球に入ってきているところに細い血管が集っていて、それが独特なカーブを書いてそのカーブの深さで視神経が萎縮して低くなっ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 国内戦時代のたたかいの結果、失明し全身不随となった若いオストロフスキーが、同志と家族にたすけられつつ、その生涯の終りに「鋼鉄はいかに鍛えられたか」という長篇小説をのこした。このことは、ただ彼が成功した一人の素人作家であって、十九世紀ロ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・それは両眼の失明である。オストロフスキーは自身によって書かれた、いかにも誇張のない短い伝記の中でこう言っている。「研究会もやめになった。最近は著作に身を捧げている。肉体的には殆どすべてを失い、残されたものは青年の消し難いエネルギーと、わが党・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
出典:青空文庫