・・・みょうが屋の商牌は今でも残っていて好事家間に珍重されてるから、享保頃には相応に流行っていたものであろう。二代目喜兵衛が譲り受けた軽焼屋はいつごろからの店であったか、これも解らぬが、その頃は最早軽焼屋の店は其処にも此処にもあってさして珍らしく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・残念ながらわが国の書店やデパート書籍部に並んでいるあの職人仕立ての児童用絵本などとは到底比較にも何もならないほど芸術味の豊富なデザインを示したものがいろいろあって、子供ばかりかむしろおとなの好事家を喜ばすに充分なものが多数にあった。その中に・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・そういうわけであるから現代の読者にはあまりに平凡な尋常茶飯事でも、半世紀後の好事家には意外な掘り出し物の種を蔵しているかもしれない。明治時代の「風俗画報」がわれわれに無限の資料を与え感興をそそるのもそのためであろう。ただし、そういう役に立つ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・たまに、万に一の地図の誤りを指摘して小言をいう好事家があるにしても陸地測量部地形図の信用は小ゆるぎもしないであろう。ただいちばん面食らわされるのは、東京付近などで年々新しく開設される電鉄軌道や自動車道路がその都度記入されていないことだけであ・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・それはいずれにしても、今のうちにこれらの滅び行く物売りの声を音譜にとるなり蓄音機のレコードにとるなりなんらかの方法で記録し保存しておいて百年後の民俗学者や好事家に聞かせてやるのは、天然物や史跡などの保存と同様にかなり有意義な仕事ではないかと・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・世にはまた色紙短冊のたぐいに揮毫を求める好事家があるが、その人たちが悉く書画を愛するものとは言われない。 祖国の自然がその国に生れた人たちから飽かれるようになるのも、これを要するに、運命の為すところだと見ねばなるまい。わたくしは何物にも・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道が塵塚談の如きは、今猶好事家必読の書目中に数えられている。是亦わたくしの贅するに及ばぬことであろう。昭和二年十一月記・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・さればわたくしの江戸趣味は米国好事家の後塵を追うもので、自分の発見ではない。明治四十一年に帰朝した当時浮世絵を鑑賞する人はなお稀であった。小島烏水氏はたしか米国におられたので、日本では宮武外骨氏を以てこの道の先知者となすべきであろう。東京市・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・俳諧師には其角堂永機、小説家には饗庭篁村、幸田露伴、好事家には淡島寒月がある。皆一時の名士である。しかし明治四十三年八月初旬の水害以後永くその旧居に留ったものは幸田淡島其角堂の三家のみで、その他はこれより先既に世を去ったものが多かった。堤上・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫