・・・民子の事を思って居ればかえって学課の成績も悪くないのである。これらも不思議の一つで、如何なる理由か知らねど、僕は実際そうであった。 いつしか月も経って、忘れもせぬ六月二十二日、僕が算術の解題に苦んで考えて居ると、小使が斎藤さんおうち・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・でありますが、長男は、来年小学校を出るのですが、図画、唱歌、手工、こうしたものは自からも好み、天分も、その方にはあるのですが、何にしても、数学、地理、歴史というような、与えられたる事実を記憶したりする学課はてんで駄目で、いまから中学へはいら・・・ 小川未明 「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」
画を好かぬ小供は先ず少ないとしてその中にも自分は小供の時、何よりも画が好きであった。。 好きこそ物の上手とやらで、自分も他の学課の中画では同級生の中自分に及ぶものがない。画と数学となら、憚りながら誰でも来いなんて、自分・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・私は、綴方の事は、きれいに忘れて、学校から帰ると、花壇の手入れ、お使い、台所のお手伝い、弟の家庭教師、お針、学課の勉強、お母さんに按摩をしてあげたり、なかなかいそがしく、みんなの役にたって、張り合いのある日々を送りました。 あらしが、や・・・ 太宰治 「千代女」
・・・そこで平生はあまり勉強しなかった自分もいささかかんしゃくを起こして、熱心に勉強したが、それとて他の人と異なった、図抜けた勉強をしたわけではなく、規則立って学課の復習、受験の準備に努めたのでもない。いわば世間並み、普通の事をやっていたというに・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・われわれが漢文の教科書として『文章軌範』を読んでいた頃、翰は夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を諳じていたが、性質驕悍にして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧ないので、試業の度ごとに落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・って居ってもよかったのが、勇ましい髪形をしなければならなくなったり、千人針に動員されたことから次第に、動員の程度がひどくなって、終りには学校工場に働いたり、また実際に工場に行って暮したり、耕作したり、学課は殆ど出来ない状態でこの二年ほどが過・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・心理学という学課が入って来た五年生の時、野上彌生子の「二人の小さきァガボンド」が、『読売新聞』に掲載された。この作品で、はじめて野上彌生子という作家も知ったのであった。 メレジェコフスキーの「トルストイとドストイェフスキー」などを、自分・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・ 各学課が重箱式に、機械的に分けられ、つみ重ねられていない。一つの題目は次の一つの題目へとかたく生活的な結びつきでのびて行くから、実際生活にすぐ役立つ勉強法だ。子供の頭は、すぐ手元の日常生活を基礎にそれを解剖し、批判し、新しく、綜合して・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ 女学校の学課はその混乱に対して全く何の力もなかった。大正初めのその頃文学好きな人は殆どみんな読んだワイルドの作品だのポウだの、武者小路実篤の書いたものを手に入る片はじから熱心に読み、自分から書くものはと云えば、手に負えない内心の有様と・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
出典:青空文庫