・・・もう大丈夫ですから、御安心なさい。さあ、早く逃げましょう」 妙子はまだ夢現のように、弱々しい声を出しました。「計略は駄目だったわ。つい私が眠ってしまったものだから、――堪忍して頂戴よ」「計略が露顕したのは、あなたのせいじゃありま・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・三人はようやく安心して泳ぎながら顔を見合せてにこにこしました。そして波が行ってしまうと三人ながら泳ぎをやめてもとのように底の砂の上に立とうとしました。 ところがどうでしょう、私たちは泳ぎをやめると一しょに、三人ながらずぼりと水の中に潜っ・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・その結果は、啻に道徳上の破産であるのみならず、凡ての男女関係に対する自分自身の安心というものを全く失って了わねば止まない、乃ち、自己その物の破産である。問題が親子の関係である際も同である。 二 右の例は、一部の・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・を念じ、いかに観音の加護を信ずるかというに、由来が執拗なる迷信に執えられた僕であれば、もとよりあるいは玄妙なる哲学的見地に立って、そこに立命の基礎を作り、またあるいは深奥なる宗教的見地に居って、そこに安心の臍を定めるという世にいわゆる学者、・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・お光さんの気もみしてるということは、かげながら心配していたが、それを聞いておおいに安心した由を告げた。しかしお光さんはやはり気もみをしているのであった。 このごろの朝の潮干は八時過ぎからで日暮れの出汐には赤貝の船が帰ってくる。予らは毎朝・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・それに、発砲を禁じられとったんで、ただ土くれや唐黍の焼け残りをたよりに、弾丸を避けながら進んで行たんやが、僕が黍の根を引き起し、それを堤としてからだを横たえた時、まア、安心と思たんが悪かったんであろ、速射砲弾の破裂に何ともかとも云えん恐ろし・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・文学として立派に職業たらしむるだけの報酬を文人に与え衣食に安心して其道に専らなるを得せしめ、文人をして社会の継子たるヒガミ根性を抱かしめず、堂々として其思想を忌憚なく発露するを得せしめて後初めて文学の発達を計る事が出来る。文人が社会を茶にし・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ 例の出来事を発明してからは、まだ少しも眠らなかったので、女はこれで安心して寝ようと思って、六連発の拳銃を抱いて、床の中へ這入った。 翌朝約束の停車場で、汽車から出て来たのは、二人の女の外には、百姓二人だけであった。停車場は寂しく、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・しかし、なかなか注意深いお方でありましたから、ただ一人の家来のいったことだけでは、安心をいたされませんでした。ほかに、もう一人、家来をやって、よくようすを探らせようとお考えになったのです。「こんどは、ひとつ姿をかえてやろう。それでないと・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・たかが屋根代の六銭にしても、まさか穿懸けの日和下駄が用立とうとは思いも懸けなかったが、私はそれでホッと安心してじき睡ついた。三 翌朝私が目を覚した時には、周囲の者はいずれももう出払っていたが、私のほかに今一人、向うの部屋で襤・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫