・・・ああ、よき友よ。家内にせんには、ちと、ま心たらわず、愛人とせんには縹緻わるく、妻妾となさんとすれば、もの腰粗雑にして鴉声なり。ああ、不足なり。不足なり。月よ。汝、天地の美人よ。月やはものを思わする。吉田潔。」 月日。「太宰治さん・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そういう時は家内じゅうのものが寄り集まってこの大きな奇蹟を環視した。そのような事を繰り返す日ごと日ごとに、おぼつかない足のはこびが確かになって行くのが目に立って見えた。単純な感覚の集合から経験と知識が構成されて行く道筋はおそらく人間の赤子の・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは、今の職人の請負仕事を嫌い、先頃まだ吉原の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具をそのまま買い取ったものである。二階・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・すると坊主が今本郷から小石川の方へ向いて動くのははなはだよくない、きっと家内に不幸があると云ったんだがね。――余計な事じゃないか、何も坊主の癖にそんな知った風な妄言を吐かんでもの事だあね」「しかしそれが商売だからしようがない」「商売・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・養家に行きて気随気儘に身を持崩し妻に疏まれ、又は由なき事に舅を恨み譏りて家内に風波を起し、終に離縁されても其身の恥辱とするに足らざるか。ソンナ不理窟はなかる可し。女子の身に恥ず可きことは男子に於ても亦恥ず可き所のものなり。故に父母の子を教訓・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・それがためにこの二、三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁訪い来るなどで、病室には一種不穏の徴を示して居る。昨夜も大勢来て居った友人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節は帰ってしもうて余らの眠りに就たのは一時頃であったが、今朝起きて見る・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・何せ小十郎のとこでは山には栗があったしうしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが米などは少しもできず味噌もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要ったのだ。 里の方のものなら麻も・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ 昔の日本では大抵田舎のお婆さんが綿を紡いで自分で染めて織って家内の必要はみたしていた。ところが紡績が発達して一反五十銭、八十銭で買えるような時代になると、農家の人々は、どうしてもそういう反物を買うようになった。貧乏のために娘を吉原に売・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・源太夫が家内の者の話に、甚五郎はふだん小判百両を入れた胴巻を肌に着けていたそうである。 天正十一年に浜松を立ち退いた甚五郎が、はたして慶長十二年に朝鮮から喬僉知と名のって来たか。それともそう見えたのは家康の僻目であったか。確かな事は・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・「僕の家内は、この煙りのために、殺されるんです。焚かないですませるものなら、やめてくれ給え。」 彼は若者の答えを待たずに、裏山から漁場の方へ降りていった。扁平な漁場では、銅色の壮烈な太股が、林のように並んでいた。彼らは折からの鰹が着・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫