・・・それは将軍秀忠の江戸から上洛するのを待った後この使に立ったのは長晟の家来、関宗兵衛、寺川左馬助の二人だった。 家康は本多佐渡守正純に命じ、直之の首を実検しようとした。正純は次ぎの間に退いて静に首桶の蓋をとり、直之の首を内見した。それから・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・ところが遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これほど周密な思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を『である』に置き換えてしまったのです。」 愈どうにも口が出せなくなった本間さんは、そこで苦しまぎれに、子供らしい最・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前において、自分の股肱を罵る将軍が何処にいるだろうと憤ろしかった。けれども彼は黙って下を向いてしまったばか・・・ 有島武郎 「親子」
・・・雪を払えば咽喉白くして、茶の斑なる、畑将軍のさながら犬獅子…… ウオオオオ! 肩を聳て、前脚をスクと立てて、耳がその円天井へ届くかとして、嚇と大口を開けて、まがみは遠く黒板に呼吸を吐いた―― 黒板は一面真白な雪に変りました。・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ていたろうと思いめぐらしていると、段々それが友人の皮肉な寂しい顔に見えて来て、――僕は決して夢を見たのではない――その声高いいびきを聴くと、僕は何だか友人と床を並べて寝ている気がしないで、一種威厳ある将軍の床に侍っている様な気がした。・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・忠孝の結晶として神に祀られる乃木将軍さえ若い頃には盛んに柳暗花明の巷に馬を繋いだ事があるので、若い沼南が流連荒亡した半面の消息を剔抉しても毫も沼南の徳を傷つける事はないだろう。沼南はウソが嫌いであった。「私はウソをいった事がない」と沼南自身・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・謹厳方直容易に笑顔を見せた事がないという含雪将軍が緋縅の鎧に大身の槍を横たえて天晴な武者ぶりを示せば、重厚沈毅な大山将軍ですらが丁髷の鬘に裃を着けて踊り出すという騒ぎだ。ましてやその他の月卿雲客、上臈貴嬪らは肥満の松風村雨や、痩身の夷大黒や・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・げに平壌攻落せし将軍もかくまでには傲りたる色を見せざりし。 二郎が苦笑いしてこの将軍の大笑に応え奉りしさまぞおかしかりける。将軍の御齢は三十を一つも越えたもうか、二郎に比ぶれば四つばかりの兄上と見奉りぬ。神戸なる某商館の立者とはかねてひ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・であるからもし武人のままで押通したならば、すくなくとも藩閥の力で今日は人にも知られた将軍になっていたかもしれない。が、彼は維新の戦争から帰るとすぐ「農」の一字に隠れてしまった。隠れたというよりか出なおしたのである。そして「殖産」という流行語・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・岩野泡鳴には凱旋将軍を讃美した詩がある。 自然主義運動に対立して平行線的に進行をつゞけた写生派、余裕派、低徊派等の諸文学については、森鴎外が、軍医総監であったことゝ、後に芥川龍之介が「将軍」を書いている以外、軍事的なものは見あたらない。・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫