大町先生に最後にお目にかゝったのは、大正十三年の正月に、小杉未醒、神代種亮、石川寅吉の諸君と品川沖へ鴨猟に往った時である。何でも朝早く本所の一ノ橋の側の船宿に落合い、そこから発動機船を仕立てさせて大川をくだったと覚えている・・・ 芥川竜之介 「鴨猟」
一昨年の冬、香取秀真氏が手賀沼の鴨を御馳走した時、其処に居合せた天岡均一氏が、初対面の小杉未醒氏に、「小杉君、君の画は君に比べると、如何にも優しすぎるじゃないか」と、いきなり一拶を与えた事がある。僕はその時天岡の翁も、やは・・・ 芥川竜之介 「小杉未醒氏」
・・・自分はその時君と、小杉未醒氏の噂を少々した。君はいが栗頭も昔の通りである。書生らしい容子も、以前と変っていない。しかしあの丸太のような、偉大なる桜のステッキだけは、再び君の手に見られなかった。――・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・ このほか、徳田秋声、広津柳浪、小栗風葉、三島霜川、泉鏡花、川上眉山、江見水蔭、小杉天外、饗庭篁村、松居松葉、須藤南翠、村井弦斎、戸川残花、遅塚麗水、福地桜痴等は日露戦争、又は、日清戦争に際して、いわゆる「際物的」に戦争小説が流行したと・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ けさの小杉先生は綺麗。私の風呂敷みたいに綺麗。美しい青色の似合う先生。胸の真紅のカーネーションも目立つ。「つくる」ということが、無かったら、もっともっとこの先生すきなのだけれど。あまりにポオズをつけすぎる。どこか、無理がある。あれじゃ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・そうした、今から見れば古典的な姿が当時の大学生には世にもモダーンなシックなものに見えたのであろう、小杉天外の『魔風恋風』が若い人々の世界を風靡していた時代のことである。 大正の初年頃外房州の海岸へ家族づれで海水浴に出かけたら七月中雨ばか・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・天然痘がひどいのが一つ、小杉未醒氏の「大雅堂」によって、幾分自性寺の所蔵品に対する考えの変ったのが第二。「先刻地図を見たら、南を廻って長崎まで行くのも、小倉の方から行くのも大して違わないらしい。――折角来たんだから、どう? 一廻りしちゃおう・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫