・・・彼は放埓を装って、これらの細作の眼を欺くと共に、併せてまた、その放埓に欺かれた同志の疑惑をも解かなければならなかった。山科や円山の謀議の昔を思い返せば、当時の苦衷が再び心の中によみ返って来る。――しかし、もうすべては行く処へ行きついた。・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気のない所でございます。 死骸は縹の水干に、都風のさび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございま・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・雨戸の中は、相州西鎌倉乱橋の妙長寺という、法華宗の寺の、本堂に隣った八畳の、横に長い置床の附いた座敷で、向って左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科という医学生が、四六の借蚊帳を釣って寝て居るのである。 声を懸けて、戸を敲いて、開けて・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ そう思うと、白崎の眉はふと曇ったが、やがてまた彼女と語っている内に、何か晴々とした表情になって来た。 だから、京都までの時間は直ぐ経ってしまった。 山科トンネルを過ぎると、京都であった。そのトンネルの長さも、白崎にはあっという・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・伏見人形に思い出す事多く、祭り日の幟立並ぶ景色に松蕈添えて画きし不折の筆など胸に浮びぬ。山科を過ぎて竹藪ばかりの里に入る。左手の小高き岡の向うに大石内蔵助の住家今に残れる由。先ずとなせ小浪が道行姿心に浮ぶも可笑し。やゝ曇り初めし空に篁の色い・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 千世子は京子をまねきながら、 この方はね、私がもう随分長い間つきあってる人で山科のお京さんて云う―― 絵をやってます今。 ごく簡短な紹介めいた事をすると四人は丸くなって腰をかけた。 京子は千世子のそばにぴっ・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫