・・・当時の文章教育というのは古文の摸倣であって、山陽が項羽本紀を数百遍反覆して一章一句を尽く暗記したというような教訓が根深く頭に染込んでいて、この根深い因襲を根本から剿絶する事が容易でなかった。二葉亭も根が漢学育ちで魏叔子や壮悔堂を毎日繰返し、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・後世の史家頼山陽のごときは、「北条氏の事我れ之を云ふに忍びず」と筆を投じて憤りを示したほどであったが、当時は順逆乱れ、国民の自覚奮わず、世はおしなべて権勢と物益とに阿付し、追随しつつあった。荘園の争奪と、地頭の横暴とが最も顕著な時代相の徴候・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・といった頼山陽の言は彼のすなおな告白であったに相違ない。 つとめて書を読み、しかもそれが他人の生と労作からの所産であって、自分のそれは別になければならぬことを自覚し、他人の生にあずかり、その寄与をすなおに受けつつ、しかも自らの目をもって・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・安政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、至るところの沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・しかし翰の持出したものは、唖々子の持出した『通鑑』や『名所図会』、またわたしの持出した『群書類従』、『史記評林』、山陽の『外史』『政記』のたぐいとは異って、皆珍書であったそうである。先哲諸家の手写した抄本の中には容易に得がたいものもあったと・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ 慶応三年新彫、江戸開成所教授神田孝平訳の経済小学、明治元年版の山陽詩註、明治二十二年出版の細川潤次郎著考古日本等と云うものに混って、ふと面白いものが目についた。それは、東京書籍舘書目と云う一冊、飜刻智環啓蒙と云う何のことだか題では私な・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・番頭、頼山陽の書など見せてくれる。折々、港の景色をぼやかして、霧雨がする。お喋りの間に、長崎の女性評が出た。「ここの女の人は、鹿児島の女と随分違うわね」「違う、違う。鹿児島の女の人、何だか皆頬ぺたなんか艷々して居るようで、活々して、・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 頼山陽が、その鶴の枕を鳴して見て、出来た詩がその家の宝になって有る由。 ――長崎というところは、然し不思議なところだ。鹿児島から着いた時、ジャパン・ホテルにいた数時間、実に堪え難い程町じゅうにはびこる物懶さ、眠さ、不活溌を感じたが・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・狭い田圃をへだてたこちら側は 山陽線海岸まわりの幾条もの線路になっている。一時間に三つ位の割で通る。雨音を立てている前の家のトタン葺の屋根のはずれと、そのとなりの家の、燃火のけむりが低く雨の中に流れ出している土壁との間にある空地ごしに扇形に・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
・・・ 父はその青春時代の情操を頼山陽などの文章によって養われた。すなわち維新の原動力となった尊皇の情熱を、維新の当時に吹き込まれた。言いかえれば、政治の実権を武士階級の手に奪われてただ名目上の主権者に過ぎなかった皇室、その皇室に対する情熱を・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫