・・・さっき米原を通り越したから、もう岐阜県の境に近づいているのに相違ない。硝子窓から外を見ると、どこも一面にまっ暗である。時々小さい火の光りが流れるように通りすぎるが、それも遠くの家の明りだか、汽車の煙突から出る火花だか判然しない。その中でただ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・最近、岐阜の農民の暴動に対して軍隊が出動した。先年の、川崎造船所のストライキに対して、歩兵第三十九聯隊が出動した。三十九聯隊の兵士たちは、神戸地方から入営している。自分の工場に於ける同志や、農村に於ける親爺や、兄弟が、食って行かなければなら・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・蘭人のハンデルホーメン、独逸人のライン、地理学者のボンなんて人も、ちょいちょい調べていましたそうで、また日本でも古くは佐々木忠次郎とかいう人、石川博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の郡上郡に八幡というところがあり・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・伊吹山 六九、二 岐阜 四十、二敦賀 七二、八 京都 四九、二彦根 五九、〇 名古屋 三〇、二 すなわち、伊吹山は敦賀には少し劣るが、他の地に比べては、著しく雨雪日の数が・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・庄五郎は岐阜、関原の戦いに功のあったものである。忠利の兄与一郎忠隆の下についていたので、忠隆が慶長五年大阪で妻前田氏の早く落ち延びたために父の勘気を受け、入道休無となって流浪したとき、高野山や京都まで供をした。それを三斎が小倉へ呼び寄せて、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫