・・・こんなとこにいつまでも転々していたってしようがねえ、旅用だけの事は何とか工面してあげるから。」 あまり出抜けで、私はその意を図りかねていた。「私もね、これでも十二三のころまでは双親ともにいたもんだが、今は双親はおろか、家も生れ故郷も・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・が、やはりテクテクと歩いて行ったのは、金の工面に日の暮れるその足で、少しでも文子のいる東京へ近づきたいという気持にせきたてられたのと、一つには放浪への郷愁でした。 そう言えば、たしかに私の放浪は生れたとたんにもう始まっていました……。・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・学資の工面に追われていた母親のことが今はじめて胸をちくちく刺した。その泪だった。そんな豹一を見て、女は、センチメンタルなのね。肩に手を掛けた。豹一はうっとりともしなかった。間もなく退学届を出した。そして大阪の家へ帰った。三 ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ ――朝鮮を食い詰めて、お千鶴を花街に残したまま、再び大阪へ舞い戻って来た丹造は、妙なヒントから、肺病自家薬の製造発売を思い立ち、どう工面して持って来たのか、なけなしの金をはたいて、河原町に九尺二間の小さな店を借り入れ、朝鮮の医者が・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・庄之助は、旅費を工面すると、寿子を連れて上京した。 コンクールの課題はコレリー作の「ラフォリア」であった。 コンクールを受けた連中はいずれもうやうやしく審査員に頭を下げ、そして両足をそろえて、つつましく弾くのだったが、寿子はつんとぎ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・ 然し止めてみたところで別に金の工面の出来るでもなし、さりとて断然母に謝絶することは妻の断て止めるところでもあるし。つまり自分は知らぬ顔をしていて妻の為すがままに任かすことに思い定めた。 朝食を終るや直ぐ机に向って改築事務を執ってい・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「お前等、弾丸はどっから工面してきちょるんだ?」 上等看護長は、勤務をそっちのけにして猟に夢中になっている二人を暗に病院から出て行かせまいとした。「聯隊から貰ってきたんです。」吉田が云った。「この頃、パルチザンがちょい/\出・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・しかし貴兄から、こう頼まれたが、工面出来ないかと友達連に相談をかけても良いものならばまた可能性の生れて来る余地あるやも知れぬが、これは貴兄に対する礼儀でないと思うので……右とり急ぎ。辻田吉太郎。太宰兄。」「手紙など書き、もの言わんとすれ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そうして月々十一円ずつ郷里からもらっている学費のうちからひどい工面をして定価九円のヴァイオリンを買うに至るまでのいきさつがあったのであるが、これは先生に関係のない余談であるからここには略する。とにかく自分がこの楽器をいじるようになったそもそ・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・文士は芸術家の中に加えられるものであるが、然し僕はもう老込んでいるから、金持の後家をだます体力に乏しく、また工面のよい女優のツバメとやらになる情慾もない。金を獲るには蟻が物を運ぶが如く、又点滴の雫が甃石に穴を穿つが如く根気よく細字を書くより・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫