・・・ところがその半月ばかりが過ぎてから、私はまた偶然にもある予想外な事件に出合ったので、とうとう前約を果し旁、彼と差向いになる機会を利用して、直接彼に私の心労を打ち明けようと思い立ったのです。「と云うのはある日の事、私はやはり友人のドクトル・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・しかし元来長沙の言葉は北京 譚は鴇婦と話した後、大きい紅木のテエブルヘ僕と差向いに腰を下ろした。それから彼女の運んで来た活版刷の局票の上へ芸者の名前を書きはじめた。張湘娥、王巧雲、含芳、酔玉楼、愛媛々、――それ等はいずれも旅行者の僕には・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・何故と云えば一二年以前、この事件の当事者が、ある夏の夜私と差向いで、こうこう云う不思議に出遇った事があると、詳しい話をしてくれた時には、私は今でも忘れられないほど、一種の妖気とも云うべき物が、陰々として私たちのまわりを立て罩めたような気がし・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・生茂りたる薄の中より、組立てに交叉したる三脚の竹を取出して据え、次に、その上の円き板を置き、卓子後の烏、この時、三羽とも無言にて近づき、手伝う状にて、二脚のズック製、おなじ組立ての床几を卓子の差向いに置く。初の烏、また、旅行用手・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・民子は勿論のこと、僕よりも一層話したかったに相違ないが、年の至らぬのと浮いた心のない二人は、なかなか差向いでそんな話は出来なかった。しばらくは無言でぼんやり時間を過ごすうちに、一列の雁が二人を促すかの様に空近く鳴いて通る。 ようやく田圃・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・日本の文人は東京の中央で電灯の光を浴びて白粉の女と差向いになっていても、矢張り鴨の長明が有為転変を儚なみて浮世を観ずるような身構えをしておる。同じデカダンでも何処かサッパリした思い切りのいゝ精進潔斎的、忠君愛国的デカダンである。国民的の長所・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
一 深川八幡前の小奇麗な鳥屋の二階に、間鴨か何かをジワジワ言わせながら、水昆炉を真中に男女の差向い。男は色の黒い苦み走った、骨組の岩畳な二十七八の若者で、花色裏の盲縞の着物に、同じ盲縞の羽織の襟を洩れて、印・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・この二人が差向いにて夕餉につく様こそ見たけれなど滑稽芝居見まほしき心にて嘲る者もありき。近ごろはあるかなきかに思われし源叔父またもや人の噂にのぼるようになりつ。 雪の夜より七日余り経ちぬ。夕日影あざやかに照り四国地遠く波の上に浮かびて見・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・二人差向いで卓に倚るや「僕は三度三度ここで飯を食うのだ」と桂は平気でいって「君は何を食うか。何でもできるよ」「何でもいい、僕は」「そうか、それでは」と桂は女中に向かって二三品命じたが、その名は符牒のようで僕には解らなかった。しば・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ここに仰ぎたてまつれば上げ下げならぬ大吉が二挺三味線つれてその節優遇の意を昭らかにせられたり おしゅんは伝兵衛おさんは茂兵衛小春は俊雄と相場が極まれば望みのごとく浮名は広まり逢うだけが命の四畳半に差向いの置炬燵トント逆上まするとからかわ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫