・・・「癆咳の頬美しや冬帽子」「惣嫁指の白きも葱に似たりけり」――僕は蛇笏の影響のもとにそう云う句なども製造した。 当時又可笑しかったことには赤木と俳談を闘わせた次手に、うっかり蛇笏を賞讃したら、赤木は透かさず「君と雖も畢に蛇笏を認めたかね」・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・私は麦稈帽子を被った妹の手を引いてあとから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人は気息を切って急いだのです。 紆波といいますね、その波がうっていました。ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・食いたいなあと思った時、ひょいと立って帽子を冠って出掛けるだけだ。財布さえ忘れなけや可い。ひと足ひと足うまい物に近づいて行くって気持は実に可いね。A ひと足ひと足新しい眠りに近づいて行く気持はどうだね。ああ眠くなったと思った時、てくてく・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・に灯影が映る時、八十年にも近かろう、皺びた翁の、彫刻また絵画の面より、頬のやや円いのが、萎々とした禰宜いでたちで、蚊脛を絞り、鹿革の古ぼけた大きな燧打袋を腰に提げ、燈心を一束、片手に油差を持添え、揉烏帽子を頂いた、耳、ぼんの窪のはずれに、燈・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・二人は起ちさまに同じように帽子をほうりつけて、「おばあさん、一銭おくれ」「おばあさん、おれにも」 二人は肩をおばあさんにこすりつけてせがむのである。「さあ、おじさんが今日はお菓子を買ってやるから、二人で買ってきてくれ、お前ら・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と声を掛けると、紳士は帽子に手を掛けつつ、「森ですが、君は?」「内田です、」というと、「そうか、」と立ちながら足を叩いて頽れるように笑った。「宜かった、宜かった、最少し遅れようもんなら復た怒られる処だった。さあ、来給え、」と先きへ立・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 二郎は、また、砂山の下を、顔まで半分隠れそうに、帽子を目深にかぶって、洋服を着た人が、歩いているのを見ました。 そして、しばらくすると、赤い船の姿はうすれ、洋服を着た人の姿もうすれてしまいました。 二郎は、まるで夢を見ているよ・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・「強情ね、いったい何の用」「用はない言うてまんがな。分らん人やな」 大阪弁が出たので、紀代子はちらと微笑し、「用がないのに踉けるのん不良やわ。もう踉けんときでね。学校どこ?」「帽子見れば分りまっしゃろ」「あんたとこの・・・ 織田作之助 「雨」
・・・横井は斯う云って、つくばったまゝ腰へ手を廻して剣の柄を引寄せて見せ、「見給え、巡査のとは違うじゃないか。帽子の徽章にしたって僕等のは金モールになってるからね……ハヽ、この剣を見よ! と云いたい処さ」横井は斯う云って、再び得意そうに広い肩・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 最後の拍手とともに人びとが外套と帽子を持って席を立ちはじめる会の終わりを、私は病気のような寂寥感で人びとの肩に伍して出口の方へ動いて行った。出口の近くで太い首を持った背広服の肩が私の前へ立った。私はそれが音楽好きで名高い侯爵だというこ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
出典:青空文庫