・・・芝居へ入って前の方の平土間へ陣取る。出方は新次郎と言って、阿久の懇意な男であった。一番目は「酒井の太鼓」で、栄升の左衛門、雷蔵の善三郎と家康、蝶昇の茶坊主と馬場、高麗三郎の鳥居、芝三松の梅ヶ枝などが重立ったものであった。道具の汚いのと、役者・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・皆の腰かけている平土間の座席におられるものと思いこんで行ったら、その横を通りすぎて、計らずも数人の人の並んでいる演台の上へ案内されてしまった。裏のところで案内して来たひとに、私は何も話しに来たのではないんですからと再三たのむのだけれども、き・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・彼の時代の観客は、その騒々しい粗野な平土間席で、昨日帝劇の見物がそれを見て大いに笑ったその笑いの内容で、笑って見物したであろうか。この世にありえないことがわかりきった安らかさで笑っていた、その笑いを笑ったであろうか。ルネッサンスは、近代科学・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
三等の切符を買って、平土間の最前列に座った。一番終りの日で、彼等の後は棧敷の隅までぎっしりの人であった。一間と離れぬところに、舞台が高く見えた。 やがて囃が始り、短い序詞がすむと、地方から一声高く「都おどりは」と云った・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・二月十三日は私の誕生日なので、私の道伴れは奮発して平土間の第八列目を買った。 上靴の中で足が痛いほど寒かった。街はますます白く、ますます平べったかった。モスクワ労働新聞社の高い窓の一つに午後三時の西日がさして、火のように硝子を燃やした。・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・幕間に、それをかりて、ああ近い近い、とよろこび叫びながら平土間の聴衆を見下したり、わざわざ平土間へそれを持って下りて、バルコンの方を見上げたりしている。 いろんないきさつがあって、やがて閉場ると、その子供は、是非日本の写真が見たいから、・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・○急にみかんの匂いがする 平土間の席、○レーニングラードのN 濃いまつ毛が美しいかげりを与えるというより病犬のようなうるさい感じ。 「春のある冬」のため○「比較のない」ということが伸子をうれしさで一杯・・・ 宮本百合子 「無題(十三)」
出典:青空文庫