・・・椿岳は平素琵琶を愛して片時も座右を離さなかったので、椿岳の琵琶といえばかなりな名人のように聞えていた。が、実はホンの手解きしか稽古しなかった。その頃福地桜痴が琵琶では鼻を高くし、桜痴の琵琶には悩まされながらも感服するものが多かった。負けぬ気・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。否、その正反対が事実であります。牢固たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。デンマークは・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・でも、あとから考えてみると、チャンと、平素から教えならされたように、弾丸をこめ、銃先を敵の方に向けて射撃している。左右の者があって、前進しだすと、始めて「前へ」の号令があったことに気づいて自分も立ち上る。 敵愾心を感じたり、恐怖を感じた・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・末子が何をしたのか、どうして次郎がそんなにまで平素のきげんをそこねているのか、さっぱりわからなかった。ただただ私は、まだ兄たち二人とのなじみも薄く、こころぼそく、とかく里心を起こしやすくしている新参者の末子がそこに泣いているのを見た。 ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・そんなことまでが平素から気になっていた。どうして四十になっても独り立ちの出来ないような不幸な娘を連れていて――それを思うと、おげんは自分を笑いたかった。彼女はそこに置いてある火鉢から細い真鍮の火箸を取って見て、曲げるつもりもなくそれを弓なり・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・学士は身体の置き処も無いほど酔っていたが、でも平素の心を失うまいとする風で、朦朧とした眼をみはって、そこに居る夫婦の顔や、洋燈に映るコップの水などをよく見ようとした。 学士のコップを取ろうとする手は震えた。お島はそれを学士の方へ押しすす・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・な服装が出来そうなものだとか、もうすこしどうかいう毅然とした女に成れそうなものだとか、過る同棲の年月の間、一日として心に彼女を責めない日は無かった―― 三年振で別れた妻に逢って見た大塚さんは、この平素信じていたことを――そうだ、よく彼女・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・私が自分の部屋を片づけ、狭い四畳半のまん中に小さな机を持ち出し、平素めったに取り出したことのないフランスみやげの茶卓掛けなぞをその上にかけ、その水色の織り模様だけでも部屋の内を楽しくして珍客をもてなそうとしたころは、末子も学校のほうから帰っ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・それがまた特に合議者間に平素から意思の疎通を欠いでいるような場合だと、甲の持ち出す長所は乙の異議で疵がつき、乙の認める美点は甲の詮索でぼろを出すということが往々ある。結局大勢かかればかかる程みんなが「検事」の立場になって、「弁護士」は一人も・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あの際もしもあの建物の中で遭難した人らにもう少し火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き届いていたならば・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
出典:青空文庫