・・・ 本間さんは何だかわからないが、年長者の手前、意味のない微笑を浮べながら、鷹揚に一寸頭を下げた。「君は僕を知っていますか。なに知っていない? 知っていなければ、いなくってもよろしい。君は大学の学生でしょう。しかも文科大学だ。僕も君も・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 私は年長の人と語るごとにその人のなつかしい世なれた風に少からず酔わされる。文芸の上ばかりでなく温かき心をもってすべてを見るのはやがて人格の上の試錬であろう。世なれた人の態度はまさしくこれだ。私は世なれた人のやさしさを慕う。 私はこ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして、予の一族は永久に父に別れた。 姉も老いた、兄も老いた、予も四十五ではないか。老なる問題は他人の問題ではない、老は人生の終焉である。何人もまぬかるる・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ それにしてもYを心から悔悛めさせて、切めては世間並の真人間にしなければ沼南の高誼に対して済まぬから、年長者の義務としても門生でも何でもなくても日頃親しく出入する由縁から十分訓誡して目を覚まさしてやろうと思い、一つはYを四角四面の謹厳一・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・これは少し私より年長で、家は蒔絵職でした。仲の好い友達でしたから折々遊びにもゆきましたが、これが読本を家で読んで来ては、学校の休息時間に細川や私なぞに九紋龍史進、豹子頭林冲などという談しを仕て聞かせたのでした。 前に申したように御維新の・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・森さんは太郎より七八歳ほども年長な友だちで、太郎が四年の農事見習いから新築の家の工事まで、ほとんどいっさいの世話をしてくれたのもこの人だ。 郷里に帰るものの習いで、私は村の人たちや子供たちの物見高い目を避けたかった。今だに古い駅路のなご・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ と宗太が年長者らしく言ったので、直次の娘はおげんの枕もとに白いお団子だの水だのをあげて置いて、子供と一緒に終りの別れを告げて行った。 親戚の人達は飾り一つないような病院風の部屋に火鉢を囲んで、おげんの亡き骸の仮りに置いてある側で、・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・丁度学士の奥さんは年長のお嬢さんを相手にして開けひろげた勝手口で働いていたが、その時庭を廻って来た。 奥さんは性急な、しかし良家に育った人らしい調子で、「宅じゃこの通り朝顔狂ですから、小諸へ来るが早いか直ぐに庭中朝顔鉢にしちまいまし・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・私は、年少の友に対して、年齢の事などちっとも斟酌せずに交際して来た。年少の故に、その友人をいたわるとか、可愛がるとかいう事は私には出来なかった。可愛がる余裕など、私には無かった。私は、年少年長の区別なく、ことごとくの友人を尊敬したかった。尊・・・ 太宰治 「散華」
・・・三人の中では、私が一番の年長者であった。私だけでも落ちついて、立派な指図をしたいと思ったのだが、やはり私は、あまりの事に顛倒し、狼狽し、おろおろしてしまって、かえってHたちに軽蔑されたくらいであった。何も出来なかった。そのうちに洋画家は、だ・・・ 太宰治 「東京八景」
出典:青空文庫