・・・頼りになる子も無く、財産を分けて遣る楽みも無く、こんな風にして死んで了うのか、そんなことを心細く考え易い年頃でありながら、何ぞというと彼は癖のように、「まだそんな耄碌はしないヨ」と言って見る方の人だった。有り余る程の精力を持った彼は、これま・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・その頃はお三輪の母親もまだ達者、彼女とても女のさかりの年頃であったから、何の気なしにこの訪問者を迎えて、皆で諸国行脚の話なぞを聞いた。彼女の眼に映る住職は眉毛の長く白い人ではあったが、そんな長途の行脚に疲れて来た様子はすこしも見えなかったこ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・人間三十前後は謂わば血気のさかりで、酒にも強い年頃ですが、しかし、あんなのは珍らしい。その晩も、どこかよそで、かなりやって来た様子なのに、それから私の家で、焼酎を立てつづけに十杯も飲み、まるでほとんど無口で、私ども夫婦が何かと話しかけても、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・八十歳の婆とか、五歳の娘とか、それは問題になりませんが、女盛りの年頃で、しかもなかなかの美人でありながら、ちっとも私に窮屈な思いをさせず、私もからりとした非常に楽な気持で対坐している事が出来る、そんな女のひとも、たまにはあるのです。あれはい・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ それはとにかく、明治十四年頃にたとえ名前は「塩湯治」でも既に事実上の海水浴が保健の一法として広く民間に行われていたことがこれで分るのである。 明治二十六、七年頃自分の中学時代にはそろそろ「海水浴」というものが郷里の田舎でも流行り出・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・科学がほんの少しばかり成長して丁度生意気盛りの年頃になっているものと思われる。天然の玄関をちらと覗いただけで、もうことごとく天然を征服した気持になっているようである。科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
一 私は今年四十二才になる。ちょうどこの雑誌の読者諸君からみれば、お父さんぐらいの年頃であるが、今から指折り数えると三十年も以前、いまだに忘れることの出来ないなつかしい友達があった。この話はつくりごとでないから・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ などというのを、古藤たちとおなじ年頃の高島はふりむきもせず、年長者のように、あぐらのひざに肘でささえた顔で、「フム」と、三吉の方だけみつめている。夕方福岡からきて、明日は鹿児島へゆき、数日後はまた熊本へもどって、古藤たちの学校で講演す・・・ 徳永直 「白い道」
・・・と同じ年頃、同じような風俗の同じような丸髷が声をかけた。「あら、まア……。」と立っている丸髷はいかにもこの奇遇に驚いたらしく言葉をきる。「五年ぶり……もっとになるかも知れませんわね。よし子さん。」「ほんとに……あの、藤村さんの御・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・宝暦以後、文学の中心が東都に移ってから、明和年代に南畝が出で、天明年代に京伝、文化文政に三馬、春水、天保に寺門静軒、幕末には魯文、維新後には服部撫松、三木愛花が現れ、明治廿年頃から紅葉山人が出た。以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫