・・・斯う云って、彼を二階の広い風通しの好い室へ案内した。広間の周囲には材料室とか監督官室とかいう札をかけた幾つかの小間があった。梯子段をのぼった処に白服の巡査が一人テーブルに坐っていた。二人は中央の大テーブルに向い合って椅子に腰かけた。「ど・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ウイリイは、王女の後について立派な大きな広間へとおりました。そこには、ちゃんといろんな御ちそうのお皿がならんでいました。 ウイリイは犬からよく言われて来たので、一ばんはじめの一皿だけたべて、あとのお皿へはちっとも手をつけませんでした。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・ モーリスがシャトーの玄関をはいってから、人けのない広間をうろつきまた駆け回る場面の伴奏も抑揚変化が割合によくできていて人を飽きさせない。 医者が姫君を診察するとき、心臓の鼓動をかたどるチンパニの音、脈搏を擬する弦楽器のピッチカット・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・人には遠く離れた広間の真中に、しんとして寝ているような心持である。表の通りでは砂利をかんで勢いよく駈ける人車の矢声も聞える。晴れきった空からは、かすかな、そして長閑な世間のどよめきが聞えて来る。それを自分だけが陰気な穴の中で聞いているような・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・父は出入りの下役、淀井の老人を相手に奥の広間、引廻す六枚屏風の陰でパチリパチリ碁を打つ。折々は手を叩いて、銚子のつけようが悪いと怒鳴る。母親は下女まかせには出来ないとて、寒い夜を台所へと立って行かれる。自分は幼心に父の無情を憎く思った。・・・ 永井荷風 「狐」
・・・交詢社の広間に行くと、希臘風の人物を描いた「神の森」の壁画の下に、五ツ紋の紳士や替り地のフロックコオトを着た紳士が幾組となく対座して、囲碁仙集をやっている。高い金箔の天井にパチリパチリと響き渡る碁石の音は、廊下を隔てた向うの室から聞えて来る・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室する。そうして和尚の首と悟りと引替にしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。 も・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、而もそれは大分以前のことであろう。 初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるの・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・ 彼の御広間の敷居の内外を争い、御目付部屋の御記録に思を焦し、ふつぜんとして怒り莞爾として笑いしその有様を回想すれば、正にこれ火打箱の隅に屈伸して一場の夢を見たるのみ。しかのみならず今日に至ては、その御広間もすでに湯屋の薪となり、御記録・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・とてもその人数の入るような広間は、恐らくニュウファウンドランド全島にもなかったでしょう。 もう気の早い信徒たちが二百人ぐらい席について待っていました。笑い声が波のように聞えました。やっぱり今朝のパンフレットの話などが多かったのでしょう。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫