・・・次々と来る小災害のふせぎ、人を弔い己れを悲しむ消極的営みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。 二人が相擁して死を語った以後二十年、実に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。民さんは野菊の中へ葬られたのだ。僕はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。 僕は何にもほしくありません。御飯は勿論茶もほし・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・亡くなった生徒の為に先生が弔いの言葉を述べた時は、年をとった母親が聖書を手にして泣いた。 士族地の墓地まで、しとしとと降る雨の中を高瀬は他の同僚と一諸に見送りに行った。松の多い静かな小山の上に遺骸が埋められた。墓地では讃美歌が歌われた。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・土曜日に尾張町へ泊まりに行くと明るくて暖かでにぎやか過ぎて神経が疲れたが、谷中へ帰るとまた暗く、寒く、どうかすると寒の雨降る夜中ごろにみかん箱のようなものに赤ん坊のなきがらを収めたさびしいお弔いが来たりした。こういう墓穴のような世界で難行苦・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・左脇の家に人数多集い、念仏の声洋々たるは何の弔いか。その隣に楽焼の都鳥など売る店あり。これに続く茶店二、三。前に夕顔棚ありて下に酒酌む自転車乗りの一隊、見るから殺風景なり。その前は一面の秋草原。芒の蓬々たるあれば萩の道に溢れんとする、さては・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・発起の功徳に汝が願い叶え得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉善哉、と仰せられると見て夢はさめた、犬はこのお告に力を得て、さらば諸国の霊場を巡礼して、一は、自分が喰い殺したる姨の菩提を弔い、一は、人間に生れたいという未来の大・・・ 正岡子規 「犬」
・・・若きダンテはビアトリースの弔いの鐘に胸を砕かれてこの淵に躍り入った。フロレンスの門の永久に彼に向かって閉じられてよりはさらに荒き浮世の波に乗る。彼の魂は世の汚れたる群れより離れて天堂と地獄に行く。この不覊の魂を宿したる骸は憂き現し世の鬼の手・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫