・・・道路のアスファルトでも、研究所の床のコンクリートでも、どこを歩いてもこの小さな鉄片がなりに似合わぬ高く鋭い叫び声を発して自己の存在を強調する。その音が頭の頂上まで突き抜けるように響き渡って、何よりもまず気が引けるのである。人とすれちがう時な・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・歯ぐきや硬口蓋への圧迫から来る不快の感覚が精神的不快の背景の前に異常に強調されて来るらしい。覚えず舌で入れ歯を押しはずして押し出そうとする。これは不愉快なときにつばを吐きたくなるのと同じような生理的心理的現象かもしれない。しかし入れ歯は吐き・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そこから足ることを知る節制謙譲が生まれるであろう、と教える東洋風の教えがこの集のところどころに繰返して強調されている。例えば第百三十四段から第百三十七段までを見ただけでも大体のものの考え方がわかる。第百三十七段の前半を見れば、心の自由から風・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・いかなる赤誠があっても、それがその人一人の自我に立脚したものであって、そうしてその赤誠を固執し強調するにのみ急であって、環境の趨勢や民心の流露を無視したのでは、到底その機関の円滑な運転は望まれないらしい。内閣にしてもその閣僚の一人一人がいか・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・ただその感覚と同時に経験した色々の出来事の記憶の印銘される濃度が、その時の暑さ寒さの刺戟によって、強調されるのではないかという気がする。そうしてその出来事を想いだす時にはその暑寒の感覚はもう単なる概念的の抜殻になってしまっているようである。・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・のどこかはなやかに明るくまたなまめかしい雰囲気と対照されてこの雨漏りのわびしさがいっそう強調される。一方ではまたこの「蜂の巣」の雨にぬれそぼちた姿がはっきりした注意の焦点をなして全句の感じを強調している。この句を詠んだ芭蕉は人間であると同時・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・そして、この現象は、本年のはじめ頃から日本の文学者の一部の間に特殊な傾向をもって強調されていた作家の社会性の拡大への要求、大人の文学への要求、国民の文学と称せられるものへの要求と根をつらねた文学的性格を具えている点においても、文学上相当の意・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・この面こそ強調されるべきです。 歴史はくりかえすものではありません。全く同一の現象が、同一の内容でくりかえされることは歴史上ないことです。まして、歴史は決してそのままのくりかえしでない、という事実をはっきり知り、あなたがたの愛人たちの頭・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・スト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たとされて、愛の深さの基準で神への近さがいわれたのだが後年、暗黒時代の教会はやはり女を地獄と一緒に罪業の深いものとして、女に求める女らしさに生活の受動性が強調された。 十九世紀のヨーロッパで・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・衣、食、住、愛憎の問題だけを見ても、戦争中は、人間的な欲求の一切を抹殺した権力によって、そういうテーマは、すべて自然の文明的な主張をかくし、軍国主義への献身だけが強調された。小説にしろ、そうだった。大衆のこのみは、そこに追いこまれ、すべての・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
出典:青空文庫