・・・ と、まず、遡って当時の事を憶出してみれば、初め朧のが末明亮となって、いや如何しても敗北でないと収まる。何故と云えば、俺は、ソレ倒れたのだ。尤もこれは瞭とせぬ。何でも皆が駈出すのに、俺一人それが出来ず、何か前方が青く見えたのを憶えているだけ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・そして「私なんか嫁入った当時から、なかなかただの人ではないと思ってた」と、誇らしげに言った。「私なんかには解りませんけど、後妻というものは特別に可愛いもんだといいますね。……後妻はどうしても若くもあるし、……あなたも私とあのようになって・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上っていたはずの信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母などとこちらにいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違えるたびごとに、信子という名を持った十四五の娘が頭に親しく想像され・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そこで自分は当時の日記を出して、かしこここと拾い読みに読んではその時の風光を思い浮かべていると『兄さんお宅ですか』と戸外から声を掛けた者がある。『お上がり』と自分は呼んでなお日記を見ていた。 自分の書斎に入って来たるは小山という・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 自分如きも文芸家となったけれども、学窓にあったときには最も深い倫理学者になることを理想とし、当時倫理学が知識青年からかえり見られなかった頃に、それを公言し、ほこりともしていた。 文芸を愛好する故に倫理学を軽視するという知識青年の風・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり、刻みこまれた字は読み難いほど石がところどころ削げ落ちている。自分・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・私は反古にして無くして仕舞いましたが、先達て此事を話し出した節聞いたらば、麗水君は今も当時写したのを持って居るという事でした。 わたくしは前にも申した通り学生生活の時代が極短くて、漢学の私塾にすらそう長くは通いませんでした。即ち輪講をし・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 伊能忠敬は、五十歳から当時三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ、七十歳をこえて、日本全国の測量地図を完成した。趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎の毛皮の帽子を冠った頃だ。まだお新も生れないくらいの前のことだ。あの・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
徳富猪一郎君は肥後熊本の人なり。さきに政党の諸道に勃興するや、君、東都にありて、名士の間を往来す。一日余の廬を過ぎ、大いに時事を論じ、痛歎して去る。当時余ひそかに君の気象を喜ぶ。しかるにいまだその文筆あるを覚らざるなり。・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
出典:青空文庫