・・・さア、其奴の垂れてるのを一寸瞥見しただけなんだが、私は胸がむかついて来た。形容詞じゃなく、真実に何か吐出しそうになった。だから急いで顔を背けて、足早に通り抜け、漸と小間物屋の開店だけは免れたが、このくらいにも神経的になっていた。思想が狂って・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・これらは凡て文章の意味を明らかにする以外、音調の関係からして、副詞を入れたいから入れたり、二つで充分に足りている形容詞をも、一つ加えて三つとしたりするのである。コンマの切り方なども、単に意味の上から切るばかりでなく、文調の関係から切る場合が・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・触れる云々は形容詞に過ぎんように思う。哲学上の見解から小説と人生との接触を見たんではないらしい。にも係らず其無意味のことに意味をつけて、やれ触れたの、やれ人生の真髄は斯うだのと云う。一片の形容詞が何時の間にか人生観と早変りをするのは、これ何・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・のすわりをる哉 句法のたるみたる様、西行の歌に似たり。「さびしげになりて」という続きも拙く「すわりをるかな」のたるみたるは論なし。「なりて」の語をやめて代りに「火桶」の形容詞など置くべく、結句は「火桶すわりをる」のごとき句法を用うる・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・後家の君尼寺や善き蚊帳垂るゝ宵月夜柚の花や能酒蔵す塀の内手燭して善き蒲団出す夜寒かな緑子の頭巾眉深きいとほしみ真結びの足袋はしたなき給仕かな宿かへて火燵嬉しき在処 後の形容詞を用いる者、多くは句勢にたるみを生・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・そのこまっかい肌、そのうす赤くすき通る耳たぼをもって居る御前は――世界中にある美くしいものにつける形容詞を集めても御前の美くしさを云う事は出来まいネー。精女 ――ペーン お前はだまって居る。そのしまった口元、見つめた目つき――美くし・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
私たちが、恋愛とか結婚とかの問題について話す場合、特別その上に新しいという形容詞をつけて持ち出す場合、それは多かれ少かれ、従来理解され、また経験されて来た恋愛や結婚より何かの意味で豊富な、新鮮な、我々の生きる歓喜となり得る・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・ブルジョア恋愛論の空想性、偽瞞性で装飾しながら、ロマンティックなような形容詞で、かいていることといえば、肉体主義の文学の生理的註解のようなものです。これまでに科学的な性の知識がちっとも与えられていないのに、今日は十六歳の少女でも読む雑誌に、・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・悲壮という複雑な人間的感情の集約的表現は、ちょっとという小量を示す形容詞によって、軽佻化され、なおざりのものとされ、読者は作者の浮腰を感じるのである。このような例は、この部分一ヵ所ではない。「幼き合唱」は濫費されている字数にかかわらず何・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ けれども、人は決してそんな単純な形容詞で一貫するような性格を持っているものでは無いのだ。 複雑に複雑を極めた箇性の内面の力が、圏境や過去の経験に打たれ、押し返し、揉み合って一歩ずつ、一歩ずつ今日まで歩み進んで来たのが、今日のその人・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
出典:青空文庫