・・・これは確か康頼様の、都返りの御形見だとか、伺ったように思っています。 俊寛様は円座の上に、楽々と御坐りなすったまま、いろいろ御馳走を下さいました。勿論この島の事ですから、酢や醤油は都ほど、味が好いとは思われません。が、その御馳走の珍しい・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・家の者のいない隙に、手早く置手紙と形見の品物を取りまとめて机の引出しにしまった。クララの眼にはあとからあとから涙が湧き流れた。眼に触れるものは何から何までなつかしまれた。 一人の婢女を連れてクララは家を出た。コルソの通りには織るように人・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・それは、永久になくしてしまったと思っていた、お母さんの形見の指輪でありました。 小川未明 「海のまぼろし」
・・・故上野殿だにもおはせしかば、つねに申しうけ給はりなんと嘆き思ひ候ひつるに、御形見に御身を若くしてとどめ置かれけるか。姿の違はせ給はぬに、御心さへ似られける事云ふばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候と承はりて、御墓に参りて候」 こうし・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・それも子供らの母親がまだ達者な時代からの形見として残ったものばかりだった。私が自分の部屋に戻って障子の切り張りを済ますころには、茶の間のほうで子供らのさかんな笑い声が起こった。お徳のにぎやかな笑い声もその中にまじって聞こえた。 見ると、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・長いことお三輪が大切にしていた黒柿の長手の火鉢も、父の形見として残っていた古い箪笥もない。お三輪はその火鉢を前に、その箪笥を背後にして、どうかしてもう一度以前のような落ちついた心持に帰って見たいと願っていた。 このお三輪が震災に逢った頃・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 母さんを記念するものも、だんだんすくなくなって、今は形見の着物一枚残っていない。古い鏡台古い箪笥、そういう道具の類ばかりはそれでも長くあって、毎朝私の家の末子が髪をとかしに行くのもその鏡の前であるが、長い年月と共に、いろいろな思い出す・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・別に証拠といってはないのだから、それが、藤さんがひそかに自分に残した形見であるとは容易に信じられるわけもない。しかし抽斗は今朝初やに掃除をさせて、行李から出した物を自分で納めたのである。袖はそれより後に誰かが入れたものだ。そしてこの袖は藤さ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・討死と覚悟きめて、母のたった一つの形見の古い古い半襟を恥ずかしげもなく掛けて店に出るほど、そんなにも、せっぱつまって、そこへ須々木乙彦が、あらわれた。 はじめ、ゆらゆら眼ざめたときには、誰か男の腕にしっかり抱きかかえられていたように、思・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ 四 子規の家から不折氏の家へ行く道筋を画いて教えてくれたものが唯一の形見として私の手許に残っている。それは子規氏の特有の原稿用紙(唐紙? に朱罫いっぱいに画いた附近の略地図である。右上に斜に鉄道線路が二本引・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
出典:青空文庫