・・・鉄道の踏切を越した高い石垣の側で、高瀬はユックリ歩いて来る学士を待受けた。「高瀬さん、私も小諸の土に成りに来ましたよ」 と学士は今までにない忸々しい調子で話し掛けて、高瀬と一緒に石垣側の段々を貧しい裏町の方へ降りた。「……私も今・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
「冬」が訪ねて来た。 私が待受けて居たのは正直に言うと、もっと光沢のない、単調な眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯れた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくと眺めて、まるで自分の先入主となった物の考え方や自・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・あだかも袖子の子供の日が最早終わりを告げたかのように――いつまでもそう父さんの人形娘ではいないような、ある待ち受けた日が、とうとう父さんの眼の前へやって来たかのように。「お初、袖ちゃんのことはお前によく頼んだぜ。」 父さんはそれだけ・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・家へ帰ると、一通の手紙が私を待受けていた。黄村先生からのお便りである。ああ、ここに先駆者がいた。私たちの、光栄ある悲壮の先駆者がいたのだ。以下はそのお便りの全文である。 前略。その後は如何。老生ちかごろ白氏の所謂、間事を営み自ら笑うの心・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・まだ少し時間は早かったが日本橋通りをぶらぶらするのも劇場の中をぶらぶらするのも大した相違はないと思って浜町行のバスを待受けた。何台目かに来た浜町行に乗込んだら幸いに車内は三、四人くらいしか乗客はなくてこの頃のこの辺のバスには珍しくのんびりし・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・三毛が放すと同時に向き直ってすわったまま短いしっぽの先で空中に∞の字をかきながら三毛のかかって来るのを待ち受けていた。どうかするとちびは箪笥と襖の間にはいって行く、三毛は自分ではいれないから気違いのようになって前足をさし込んで騒ぐ。その間に・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・私は少なからざる興味と期待をもってことしの夏を待ち受けている。 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・ようやく追いつく碌さんを待ち受けて、「おい何をぐずぐずしているんだ」と圭さんが遣っつける。「だから饂飩じゃ駄目だと云ったんだ。ああ苦しい。――おい君の顔はどうしたんだ。真黒だ」「そうか、君のも真黒だ」 圭さんは、無雑作に白地・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・今の疑懼の心持は昔マドレエヌの家の小さい客間で、女主人の出て来るのを待ち受けた時と同じではないか。人間の記憶は全く意志の掣肘を受けずに古い閲歴を堅固に保存して置くものである。そう云う閲歴は官能的閲歴である。オオビュルナンはマドレエヌの昔使っ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・電信をお発し下すったなら、明後日午後二時から六時までの間にお待受けいたすことが出来ましょう。もうこれで何もかも申上げましたから、手紙はおしまいにいたしましょう。わたくしはきっと電信が参る事と信じています。どうぞこの会合をお避けなさらないで、・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫