・・・又は、後半の狂言風な可笑しみで纏め、始めの自責する辺などはごくさらりと、折角、一夜を許し、今宵の月に語り明かそうと思えば、いかなこと、この小町ほどの女もたばかられたか、とあっさり砕けても、或る面白味があっただろう。 行き届いて几帳が立て・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・の空想に亢奮したままに作画してゆくような素質の芸術家ではなかったこと、これはケーテにとって最も貴重な特質の一つである重厚さであった。 六枚つづきの「織匠」の後半、とくに第三枚目「相談」は、おどろくべき力でそこにいる四人の男たちの全生活の・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・は、ひろく共感を誘う妻のシチュエーションであるけれども、書き出しの女性らしい文章の体質と、すこしあとの方の文章と、どこかちがって来ているのは、どうしてだったろう。後半いまの風俗小説風の世相が女主人公の生活にふれて来てから、最後のむすびに到る・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
・・・の真実な姿を芸術に描き出すことは決してやさしいことではなく、事件の目出度い大団円がとりも直さぬ明るさとして納得されにくい例は、別な場合であるが徳永直氏の「はたらく人々」の後半のまとめかたにも見られる。明日への課題として、芸術一般が当面してい・・・ 宮本百合子 「「建設の明暗」の印象」
・・・小西行長が肥後半国を治めていたとき、天草、志岐は罪を犯して誅せられ、柄本だけが残っていて、細川家に仕えた。 又七郎は平生阿部弥一右衛門が一家と心安くして、主人同志はもとより、妻女までも互いに往来していた。中にも弥一右衛門の二男弥五兵衛は・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・彼が幕府に仕えて後半世紀、承応三年に石川丈山に与えて異学を論じた書簡がある。耶蘇は表面姿を消しているが、しかし異学に姿を変じて活躍している、あたかも妖狐の化けた妲己のようである、というのである。その文章は実に陰惨なヒステリックな感じを与える・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・しかし後半生においては忠実な神の僕であった。ストリンドベルヒは自然主義の精神を最も明らかに体現した人である。しかし晩年には神と神の正義との熱心な信者であった。デカダンの詩人が最後に神に帰らなければならなかったことも人の知るところである。彼ら・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・十九世紀後半が生んだ偉大なものは、たとえ自然主義のいい影響をうけていたにしても、決して自然主義的な本質を持ってはいなかった。そこには常に自然主義以上のものがあった。この事実は世界の精神潮流から非常に遅れていた最近のわが国の文化についても、厳・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
・・・その後半世紀を経たのであるから、そういう人たちはもう一人も残っていないであろう。たといそういう種族のうちで生き残っている人があるとしても、そういう生活の仕方は、もう許されなくなっているであろう。しかしああいう存在はあっていいと思う。あれもギ・・・ 和辻哲郎 「松風の音」
・・・もっとも後半の受ける方の文章はどう変わってもよいのであるが、とにかく「なければ」「あれば」は一つの条件を示す言葉であるから、それを「ならない」で受けることはできないはずである。これが先生の主張であった。わたくしはいかにももっともだと思った。・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫