・・・ 一九一七年に、そのころ後藤末雄氏によって訳された「ジャン・クリストフ」を読んだときの感銘。それから「魅せられたる魂」の英訳がはいって来て「アンネットとシルヴィ」「夏」「母と子」と一冊一冊おぼつかなくよみすすんで行ったころの感銘。ロマン・・・ 宮本百合子 「彼女たち・そしてわたしたち」
・・・一ヵ月半ばかり経った時、作家同盟の木村好子さん、後藤郁子さんが折角面会に来て呉れたのに、留置場の私がそれを知ったのは翌日のしかも夕方でした。出て来てからそのときの話をきくと、まあ何と憎らしいことでしょう! 駒込署の高等係は、余り二人の同志が・・・ 宮本百合子 「逆襲をもって私は戦います」
・・・さもなければ、後藤静香の勤労学校のようにひどい山師の儲け仕事なのです。 それから又、高岡只一はソヴェト同盟の裁判と監獄についても語りました。ソヴェトの裁判が公開であるということ、監獄が、後れた労働者をよい労働者に仕上げて出すためのところ・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・ 後藤新平の自治に関する講演 ひどく生物哲学を基礎とする自治本能という。「私が云う自治というのは、決してむずかしいことではない、誰にでもじき覚えられる。私のところへ来る少女団や少年団の子供もよく覚える。たった三箇・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ ――佃 一郎 自分―― 伸子 父 ――佐々省三 母――多計代 岩本――中西ちゑ子 弟――和一郎 南 ――高崎直子 弟――保 和田――安川ただ/咲森田、岩本散歩 或日曜後藤避暑の話、ミス ダニエル 決心、出立・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
・・・作家同盟の後藤郁子、木村よし子さんたちが果物をもって面会に来てくれた時も、高等係は留置場へ降りて行ったふりをして私が「お志はありがたいがこういう場所でおめにかかりたくないから」といったと嘘をでっち上げ、到頭会わせなかった。翌日の夕方まで当の・・・ 宮本百合子 「ますます確りやりましょう」
・・・ 後藤末雄氏が『日本評論』に書いていられる論文「帝国芸術院を審議す」の文章をかりて云えば「爾来、星霜二十余年」今度社会正義に基くことをモットーとする近衛内閣によって、従来の「蚊文士」が「殿上人」となることとなった。「かかる官府の豹変は平・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
・・・伊東忠太博士、池田成彬、後藤新平、平田東助等の青年時代、明治の暁けぼのの思い出の一節はその塾にもつながっていたらしい話である。 父は死に到る迄死ぬことを考えない活気で若々しく活動していた人であった。最後の一年ばかり前、或る海岸で珍しく父・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
・・・与左衛門の子が八左衛門で、大阪籠城のとき、後藤基次の下で働いたことがある。細川家に召し抱えられてから、千石取って、鉄砲五十挺の頭になっていた。四月二十九日に安養寺で切腹した。五十三歳である。藤本猪左衛門が介錯した。大塚は百五十石取りの横目役・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫