○先日徹夜をして翌晩は近頃にない安眠をした。その夜の夢にある岡の上に枝垂桜が一面に咲いていてその枝が動くと赤い花びらが粉雪のように細かくなって降って来る。その下で美人と袖ふれ合うた夢を見た。病人の柄にもない艶な夢を見たものだ。〔『ホ・・・ 正岡子規 「夢」
・・・それのみでない蒲団の上に横になって、右の肱をついて、左の手に原稿紙を持って、書く時には原稿紙の方を動かして右の手の筆の尖へ持って往てやるという次第だから、ただでも一時間か二時間かやると肩が痛くなる。徹夜などした時は、仕事がすんでから右の手を・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・、Sunday――Aと Brick Church に行き、カーネギー夫人に会いかえりに Fifth ave を歩いて、Maison Facile で Supper を食べ、夜の中を散歩してかえり、殆ど徹夜して、ミス コーフィールドのことに就・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・カールが徹夜しながら「書物の海」に埋れて社会発展の歴史とその理論を学んでいる時、ハイネは一つの詩を創るごとにカールに見せに持って来た。時々、カールに辛い点をつけられると、ハイネはその詩を夫人イエニーにみてもらった。こうしてハイネの生涯をかざ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・三月の初め、私が徹夜した黎明であった。重く寒い暗藍色の東空に、低く紅の横雲の現れたのが、下枝だけ影絵のように細かく黒くちらつかせる檜葉の葉ごしに眺められた。閉め切った硝子戸の中はまだ夜だ。壮重な夜あけを凝っと見て居ると、何処かで一声高らかに・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・長いものを書くためには徹夜などもってのほかですからね。このためには大分がん張らないとどうしても夜更かしになるから困ります。稲ちゃん一家は、徹夜が日常です。こまったものね。今度の手紙はこれで一まずおしまいにいたします。リンゴをあがって下さい。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・に巡礼をやり、今やっているゴーゴリの芝居では何をやっているか、旦那さんの方はきっと徹夜して小説かいてるでしょう。今夜見物する予定でしたが叔父様をお送りしたからやめになりました。 この近所には千葉で三年ばかり暮すことになった山田さんの奥さ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・しかし秀麿は寝る時必ず消して寝る習慣を持っているので、それが附いていれば、又徹夜して本を読んでいたと云うことが分かる。それで奥さんは手水に起きる度に、廊下から見て、秀麿のいる洋室の窓の隙から、火の光の漏れるのを気にしているのである。・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・地味な縞の、鈍い、薄青い色の勝った何やらの単物に袴を着けて、少し前屈みになって据わっている。徹夜をした人の目のように、軽い充血の痕の見えている目は、余り周囲の物を見ようともせずに、大抵直前の方向を凝視している。この男の傍には、少し背後へ下が・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・バアルはその夜徹夜して書きたいような心持ちになったが、筆をとってみると一語さえも書くことはできない。デュウゼについて初めて何か書けそうになったのはそれから四週間の後である。それまでは旅行から得る新しい刺激によって、わずかに頭の整理を続けてい・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫