・・・ 二十七日十九時、上野発急行列車。満員だった。私たちは原町まで、五時間ほど立ったままだった。 ハハイヨイヨワルシ」ダザイイツコクモハヤクオイデマツ」ナカバタ 北さんは、そんな電報を私に見せた。一足さきに故郷へ帰っていた中畑さんか・・・ 太宰治 「故郷」
・・・七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色の蟻が、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到する。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋というものもこの世にまだ在・・・ 太宰治 「座興に非ず」
・・・八年まえの冬、考えると、あの頃も苦しかったが、私は青森の検事局から呼ばれて、一人こっそり上野から、青森行の急行列車に乗り込んだことがある。浅虫温泉の近くで夜が明け、雪がちらちら降っていて、浅虫の濃灰色の海は重く蜒り、浪がガラスの破片のように・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・になって、それでも戦争はまだまだ続くというし、どうせ死ぬのならば、故郷で死んだほうがめんどうが無くてよいと思い、私は妻と五歳の女の子と二歳の男の子を連れて甲府を出発し、その日のうちに上野から青森に向う急行列車に乗り込むつもりであったのですが・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・銀座のほうに歩きかけて、やめて、川の近くのバラックの薬局から眠り薬ブロバリン、二百錠入を一箱買い求め、新橋駅に引きかえし、大阪行きの切符と急行券を入手した。大阪へ行ってどうするというあても無いのだが、汽車に乗ったら、少しは不安も消えるような・・・ 太宰治 「犯人」
・・・無論急行で、一等車ばかりを聯結しようと云うのであった。 その会議の結果はこうである。親族一同はポルジイに二つの道を示して、そのどれかを行わなくてはならないことにした。その一は軍職を罷めて、耕作地の経営に長じているという噂のあるおじさんの・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 〇時半の急行で札幌に向かう。北緯四十一度を越えても稲田の黄熟しているのに驚く。大沼公園はなるほど日本ばなれのした景色である。鉄骨ペンキ塗りの展望塔がすっかり板に付いて見える。黄櫨や山葡萄が紅葉しており、池には白い睡蓮が咲いている。駒ヶ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・しかし六時の急行に乗る積りなれば落付いて眠る間もなかるべしと漱石師などへ用もなき端書したゝむ。ラムネを取りにやりたれど夜中にて無し、氷も梨も同様なりとの事なり。退屈さの茶を啜れば胸ふくれて心地よからず。とかくするうち東の空白み渡りて茜の一抹・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・先この急行列車の序開があった後には旅館の淋しさ。人が一ぱいいながら如何にもがらんとした広い旅館。見も知らぬ気味悪い部屋、怪気な寝床の淋しさが続いて来る。私には何がさて置き自分の寝床ほど大切なものはない。寝床は人生の神聖なる殿堂である。人・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ここは最大急行で通らないといけません。」 楢夫も仕方なく、駈け足のしたくをしました。「さあ、行きますぞ。一二の三。」小猿はもう駈け出しました。 楢夫も一生けん命、段をかけ上りました。実に小猿は速いのです。足音がぐゎんぐゎん響き電・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
出典:青空文庫