・・・昨年、彼が借衣までして恋人に逢いに行ったという、そのときの彼の自嘲の川柳を二つ三つ左記して、この恐るべきお洒落童子の、ほんのあらましの短い紹介文を結ぶことに致しましょう。落人の借衣すずしく似合いけり。この柄は、このごろ流行と借衣言い。その袖・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・更に明確にぶちまけるならば、この小品の原作者 HERBERT EULENBERG さん御自身こそ、作中の女房コンスタンチェさんの御亭主であったという恐るべき秘密の匂いを嗅ぎ出すことが出来るのであります。すれば、この作品の描写に於ける、(殊冷・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ チベット行は、うやむやになったが、勝治は以来、恐るべき家庭破壊者として、そろそろ、その兇悪な風格を表しはじめた。医者の学校へ受験したのか、しないのか、また、次の受験にそなえて勉強しているのか、どうか、まるで当てにならない。勝治の言葉を・・・ 太宰治 「花火」
・・・これらの権威を無批判的に過信する弊害は甚だ恐るべきものでなければならない。もしノートや教科書の教ゆる所をそのままに受け取り、それ以上について考える所も見る所もなかったらどうであろう。その人は単に生きた教科書であって自然科学その物については何・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・これと同じように平生地震というものの災害を調べているものの目から見ると、この恐るべき強敵に対する国防のあまりに手薄すぎるのが心配にならないわけには行かない。戦争のほうは会議でいくらか延期されるかもしれないが、地震とは相談ができない。 大・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・これから考えても悲哀ということ自身は決していとわしい恐るべきことではなくてかえって多くの人間の自然に本能的に欲求するものであることが推測される。ただ悲哀に随伴する現実的利害関係が迷惑なのである。 悲しくない泣き方もいろいろある。あんまり・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ただもししいて何か感じた事を述べよとならば、それは消化器の弱い自分にとって今夜の食卓に出されたパンが恐るべきかたいパンであったという事であると言って席についた。その夜の芥川君には先年雑司が谷の墓地で見た時のような心弱さといったようなものは見・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えらえたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・しかしわたくしが西瓜や真桑瓜を食うことを禁じられていたのは、恐るべき伝染病のためばかりではない。わたくしの家では瓜類の中で、かの二種を下賤な食物としてこれを禁じていたのである。魚類では鯖、青刀魚、鰯の如き青ざかな、菓子のたぐいでは殊に心太を・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・そうして足の眼に及ばざるを恨みとして、焦慮に焦慮て、汗を流したり呼息を切らしたりする。恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄の具足とを買うべく余儀なくせられたる家族は、沢庵の尻尾を噛っ・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
出典:青空文庫