・・・昭和のはじめ、日本の天皇制が侵略戦争をはじめたにつれて、治安維持法がしだいに殺人的な悪法となってゆきました。安倍源基は、警視庁の特高部長でした。それから人民抑圧の手柄によって、警視総監となり、内務大臣となり、さいごに企画院にゆきました。彼の・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・やがて、この悪法は撤廃されることになって、画面に一つの力づよい手が現れて、特高と書いた塗札をひきむしった。検事局思想部の掛札も、もぎとって床にすてられた。画面にふたたび、府中刑務所のいかめしい正門が見えて来た。遂にこの扉の開かれる日が来まし・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 治安維持法という全く権力擁護の悪法によって血ぬられた立身出世の階段を一段一段と経のぼった人間が人民の正義と自由に対して罪のない者であるということは、人間としての正義感が承知しません。こんにち、権力をもっている支配者たちの法律がそれをど・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・しかし、ブルジョア、地主の悪法「治安維持法」というものは、それをキッカケに階級的に目ざめた大衆をかたっぱしから投獄するよう、わざわざ制定されてあるものです。悪辣きわまるその「わな」とも闘い抜いて私は八十日の後自由をとり戻したのですが、みなさ・・・ 宮本百合子 「ますます確りやりましょう」
・・・第一次大戦終了後の大正年代に、新婦人協会など同じ目的のためにさまざまに努力したけれども、今回第二次世界大戦敗北による、ポツダム宣言によって治安維持法を初め沢山の悪法が撤廃される時まで、婦人独自の力で、この悪法を打破ることは遂に出来なかった。・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫