・・・もし駕籠かきの悪者に出逢ったら、庚申塚の藪かげに思うさま弄ばれた揚句、生命あらばまた遠国へ売り飛ばされるにきまっている。追手に捕まって元の曲輪へ送り戻されれば、煙管の折檻に、またしても毎夜の憂きつとめ。死ぬといい消えるというが、この世の中に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ するとじいさんは、こんな悪者と話し合ってはどんな眼にあうかわからないというように、うろうろどこか遁げ口でもさがすように立ちあがって、またべったり坐りました。「あなたのご主人はいらっしゃらないのですか。」わたくしはまたたずねました。・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・さも悪者らしく、巻煙草の横くわえで、のっそりのっそり両手をパンツの衣嚢に肩をそびやかして横行するところから、あの両肱をぐいと持ち上げる憎さげなシュラッギングまで。堪らず私を笑わせたのは、そんな悪漢まがいの風体をしながら、肩つきにしろ、体つき・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
・・・ 伊予国の銅山は諸国の悪者の集まる所だと聞いて、一行は銅山を二日捜した。それから西条に二日、小春、今治に二日いて、松山から道後の温泉に出た。ここへ来るまでに、暑を侵して旅行をした宇平は留飲疝通に悩み、文吉も下痢して、食事が進まぬので、湯・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・給仕をしながら婆あさんが、南裏の上さんは評判の悪者で、誰も相手にならないのだというような意味の事を話した。石田はなるたけ鳥を伏籠に伏せて置くようにしろと言い付けた。その時婆あさんは声を低うしてこういうことを言った。主人の買って来た、白い牝鶏・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫