・・・に化せられたことを、盲人の眼を開かれたことを、マグダラのマリヤに憑きまとった七つの悪鬼を逐われたことを、死んだラザルを活かされたことを、水の上を歩かれたことを、驢馬の背にジェルサレムへ入られたことを、悲しい最後の夕餉のことを、橄欖の園のおん・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・早く暖かい国に帰ってください、それでないと私はなお悲しい思いをしますから。私は今年はこのままで黄色く枯れてしまいますけれども、来年あなたの来る時分にはまたわかくなってきれいになってあなたとお友だちになりましょう。あなたが今年死ぬと来年は私一・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・ 覚悟をするには仔細があろう、幸いことか悲しいことか、そこン処は分らねえが、死のうとまでしたものを、私が騒ぎ立って、江戸中知れ渡って、捕っちゃあならねえものに捕るか、会っちゃあならねえものに会ったりすりゃ、余計な苦患をさせるようなものだ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・白波は永久に白波であれど、人世は永久に悲しいことが多い。 予はお光さんと接近していることにすこぶる不安を感じその翌々日の朝このなつかしい浜を去った。子どもらは九十九里七日の楽しさを忘れかねてしばしば再遊をせがんでやまない。お光さんからそ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・その留守中は淋しそうにションボリして時々悲しい低い声を出して鳴いていたが、二葉亭が帰って来て格子を開けると嬉しそうに飛付き、框に腰を掛けて靴を脱ごうとする膝へ飛上って、前脚を肩へ掛けてはベロベロと頬ぺたを舐めた。「こらこら、そんな所為をする・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・その音は、にぎやかな感じのするうちに、悲しいところがありました。そして、そのほかのいろいろの音色から、独り離れていて、歌をうたっているように思われました。で、ここまで聞こえてくるには、いろいろのところを歩き、また抜けたりしてきたのであります・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・べつに確めようとする気も起らなかったが、何かけたたましいような、そしてまたもの哀しいようなその歌を聴いていると、やはり十年前のことが想いだされた。それは遠い想いだった。が、現在の自分を振り返ってみても、別に出世双六と騒がれるほどの出世ではな・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・と思うと、彼の頭にも、そうした幻影が悲しいものに描かれて、彼は小さな二女ひとり伴れて帰ったきり音沙汰の無い彼の妻を、憎い女だと思わずにいられなかった。「併し、要するに、皆な自分の腑甲斐ない処から来たのだ。彼女は女だ。そしてまた、自分が嬶・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた。 白堊の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉が垂・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、人々に笑われるばかり、四郎も私も断念しました。悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫