・・・それから――遠目にも愛くるしい顔に疑う余地のない頬笑みを浮かべた? が、それは掛け価のない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように人気のない窓・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・幼い彼は命取らるる水とも知らず、地平と等しい水ゆえ深いとも知らずに、はいる瞬間までも笑ましき顔、愛くるしい眼に、疑いも恐れもなかったろう。自分はありありと亡き人の俤が目に浮かぶ。 梅子も出てきた、民子も出てきた。二坪にも足らない小池のま・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・と差し出されたのを、金之助は手に取って見ると、それは手札形の半身で、何さま十人並み勝れた愛くるしい娘姿。年は十九か、二十にはまだなるまいと思われるが、それにしても思いきってはでな下町作りで、頭は結綿にモール細工の前まえざし、羽織はなしで友禅・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・顔が熊の子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、何かとかれにかまいすぎて、それがために、かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強と称して、和文対訳のドイ・・・ 太宰治 「愛と美について」
賭弓に、わななく/\久しうありて、はづしたる矢の、もて離れてことかたへ行きたる。 こんな話を聞いた。 たばこ屋の娘で、小さく、愛くるしいのがいた。男は、この娘のために、飲酒をやめようと決心した。娘は、男の・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・顔が熊の子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、何かとかれにかまいすぎて、それがために、かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強と称して、和文対訳のドイ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・しかしその発展が出来ないで、永遠に愛くるしい見せ物に甘んじている。その名はドリスである。 ドリス自身には、技芸の発展が出来なくて気の毒だのなんのと云ったって、分からないかも知れない。結構ずくめの境界である。崇拝者に取り巻かれていて、望み・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・っこのようでいやだし、それなら、一個の芸術家として見ている俳優をあげるところまでは鑑賞が系統だたず、でも、何故そのままの気持で、随分つまらないものにも涙こぼしたりするんだから、わからないわ、と瑞々しく愛くるしい若さで云わなかっただろう。・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・子供のうちから体で働いて生きながら、そのような人生の中に美しいもの、愛くるしいもの、素朴で、うそのない親愛なものの存在するのが、働く人々の宝であることを感じて生きて来た婦人の一人である。自身、人間の生活に何かのよろこびをもたらさずにはいられ・・・ 宮本百合子 「壺井栄作品集『暦』解説」
・・・ ちょうど、絶えまなく溢れ出していた窓下の噴水が、急にパタリと止まってしまったときに感じる通りの心持――何でもなく耳馴れていたお喋り、高い笑声が聞えない今となると、たまらなく尊い愛くるしい響をもって、記憶のうちに蘇返るのである。 ど・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫