・・・私はだらしのない愛情のように太陽が癪に触った。裘のようなものは、反対に、緊迫衣のように私を圧迫した。狂人のような悶えでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。 こうした感情は日光浴の際身体の受ける生理的な・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・が、家の中には、温かい囲炉裏、ふかしたての芋、家族の愛情、骨を惜まない心づかいなどがある。地酒がある。彼は、そういうものを思い浮べた。――俺だって誰れも省みて呉れん孤児じゃないんだ! それを、どうしてこんな冷たいシベリアへやって来たんだ! ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・まして火の中へ隠れてしまう魔法を知って居る犬山道節だの、他人の愛情や勇力を受けついでくれる寧王女のようなそんな人は、どう致しまして有るわけのものではありません。それでは馬琴が描いた小説中の人物は当時の実社会とはまるで交渉が無いかというと、前・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・斯ういう気風は少年の時からあって、それが非常にやかましい祖父の下に育てられ、祖母は又自分に対する愛情が薄かったという風で、後に成って気欝病を発した一番の大本は其処から来たと自白して居る。明治十四年に東京へ移って、そして途中から数寄屋橋の泰明・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・なるべく、甘い愛情ゆたかな、綺麗な物語がいいな。こないだのガリヴァ後日物語は、少し陰惨すぎた。僕は、このごろまた、ブランドを読み返しているのだが、どうも肩が凝る。むずかしすぎる。」率直に白状してしまった。「僕にやらせて下さい。僕に、」ろ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 君に聞くが、サンボルでなければものを語れない人間の、愛情の細かさを、君、わかるかね。 どうも、たいへん、不愉快である。多少でも、君にわからせようと努めた、私自身の焦慮に気づいて、私は、こんなに不機嫌になってしまった。私自身の孤独の・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・自分では、たいへん愛情の深い人のような気がしていても、まるで、その逆だったという場合もあるのですからね。とにかく、むずかしい。さっきの正直という事と、少しつながりがあるような気もする。愛と正直。わかったような、わからないような、とにかく、私・・・ 太宰治 「一問一答」
・・・や「愛情」のようなものが入り込んで来るからである。しかしそうなるともう私がここに言っているただの「案内者」ではなくなってそれは「師」となり「友」となる。師や友に導かれて誤って曠野の道に迷っても怨はないはずではあるまいか。・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・熱い愛情にむせんででもいるような声でクルークルーと鳴きながら子猫をなめているのを見ていると、つい引き込まれるように柔らかな情緒の雰囲気につつまれる。そして人間の場合とこの動物の場合との区別に関する学説などがすべてばからしいどうでもいい事のよ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・にさえぎられてそれができないで苦しんでいるわれわれが、小動物に対してはじめて純粋な愛情を傾けうるのは、これも畢竟はわれわれのわがままの一つの現われであろう。自分は猫を愛するように人間を愛したいとは思わない。またそれは自分が人間より一段高い存・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
出典:青空文庫