・・・始めて大橋の上に立って、宍道湖の天に群っている雲の峰を眺めた時、二人の心には云い合せたように、悲壮な感激が催された。考えて見れば一行は、故郷の熊本を後にしてから、ちょうどこれで旅の空に四度目の夏を迎えるのであった。 彼等はまず京橋界隈の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・どうも蛇笏君などから鞭撻を感じた往年の感激は返らないらしい。所詮下手は下手なりに句作そのものを楽しむより外に安住する所はないと見える。おらが家の花も咲いたる番茶かな 先輩たる蛇笏君の憫笑を蒙れば幸甚である。・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・不思議な感激――それは血のつながりからのみ来ると思わしい熱い、しかし同時に淋しい感激が彼の眼に涙をしぼり出そうとした。 厠に立った父の老いた後姿を見送りながら彼も立ち上がった。縁側に出て雨戸から外を眺めた。北海道の山の奥の夜は静かに深更・・・ 有島武郎 「親子」
・・・無一物な清浄な世界にクララの魂だけが唯一つ感激に震えて燃えていた。死を宣告される前のような、奇怪な不安と沈静とが交る交る襲って来た。不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆の葉のように細かくおののいていた。・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・と言って、言ううちに我ながら思入って、感激した。 はかない恋の思出がある。 もう疾に、余所の歴きとした奥方だが、その私より年上の娘さんの頃、秋の山遊びをかねた茸狩に連立った。男、女たちも大勢だった。茸狩に綺羅は要らないが、山深く・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・いつもニコニコ笑顔を作って僅か二、三回の面識者をさえ百年の友であるかのように遇するから大抵なものはコロリと参って知遇を得たかのように感激する。政治家や実業家には得てこういう人を外らさない共通の如才なさがあるものだが、世事に馴れない青年や先輩・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ これより先き、私はステップニャツクの『アンダーグラウンド・ラシヤ』を読んで露国の民族性及び思想に興味を持ち、この富士の裾野に旅した時も行李の中へ携えて来たが、『罪与罰』に感激すると同時にステップニャツクを想い起し、かつ二葉亭をも憶い浮・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかるに、その子供に人生の希望と高貴な感激を与えて、真に愛育することを忘れて、つまらぬ虚栄心のために、むずかしいと評判されるような学校へ入れようとしたり、子供の力量や、健康も考えずに、顔さえ見れば、勉強! 勉強! というが如きは、却って、其・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・ 親子の関係、夫妻の関係、友人の関係、また男女恋愛の関係、及び正義に対して抱く感情、美に対して抱く感激というようなものは何人にも経験のあることであって従って作中の人物に対して同感しまた其れに対して、好悪をも感ずるのであります。 芸術・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・“おお秋山さん”“おお長藤君か”二人は感激の手を握り合って四年前の回旧談に耽った。やがて長藤君が秋山君名義で蓄えた貯金通帳を贈れば、秋山君は救ったものが救われるとはこのことだと感激の涙にむせびながら、その通帳を更生記念として発奮を誓ったが、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫