・・・昨日の事は忘れ明日の事を思わず、一日一日をみだらなる楽しみ、片時の慰みに暮らす人のさまにも似たりとは青年がこの町を評する言葉にぞある。青年別荘に住みてよりいつしか一年と半ばを過ぎて、その歳も秋の末となりぬ。ある日かれは朝早く起きいでて常のご・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・雪を慰みに、雪見の酒をのんでいるのだ。それだのに、彼等はシベリアで何等恨もないロシア人と殺し合いをしなければならないのだ!「進まんか! 敵前でなにをしているのだ!」 中隊長が軍刀をひっさげてやって来た。 七・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・其他に慰みとか楽みとかいって玩弄物を買うて貰うようなことは余り無かったが、然し独楽と紙鳶とだけは大好きであっただけそれ丈上手でした。併し独楽は下劣の児童等と独楽あてを仕て遊ぶのが宜くないというので、余り玩び得なかったでした。紙鳶は他の子供が・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ハハハハハハ、公方が河内正覚寺の御陣にあらせられた間、桂の遊女を御相手にしめされて御慰みあったも同じことじゃ、ハハハハハハ。」と笑った。二人は畳に頭をすりつけて謝した。其間に男は立上って、手早く笛を懐中して了って歩き出した。雪に汚れた革・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・日がな一日寂寞に閉ざされる思いをして部屋の黄色い壁も慰みの一つにながめ暮らすようなことは、私に取ってきょうに始まったことでもない。母親のない幼い子供らをひかえるようになってから、三年もたつうちに、私はすでに同じ思いに行き詰まってしまった。し・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・夏らしい日あたりや、影や、時の物の茄子でも漬けて在院中の慰みとするに好いような沢山な円い小石がその川岸にあった。あの小山の家の方で、墓参りより外にめったに屋外に出たことのないようなおげんに取っては、その川岸は胸一ぱいに好い空気を呼吸すること・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・田舎に少しばかりの田地があるから、それを生計のしろとして慰みに花でも作り、余裕があれば好きな本でも買って読む。朝一遍田を見廻って、帰ると宅の温かい牛乳がのめるし、読書に飽きたら花に水でもやってピアノでも鳴らす。誰れに恐れる事も諛う事も入らぬ・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・勿論これらはほんの素人の慰み半分の小型映画作品であったのでこういう厳重な批評をするのは無理であろうが、これでもおおよその水準を窺うことは出来るであろうと思われる。 元来教育映画は骨の折れる割合に商品価値の低いものである以上、現在日本の映・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・両眼に繃帯をしているのだから、視覚に訴えるものは慰みにはならない。 しかし例えば香の好い花などはどんなものだろうと思った。 花屋の店先に立って色様々の美しい花を見ているうちにこんな事を考えた。 これほど美しいものを視る事の出来な・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それだからというて別に彼らを慰めてやる方法もないので困って居た所が、この正月に碧梧桐が近所へ転居して来たので、その妻君や姉君が時々見舞われるのは、内の女どもにとりてはこの上もない慰みになるようになった。殊に三月の末であったか、碧梧桐一家の人・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫