・・・文芸懇話会賞というものをその作「兄いもうと」に対しておくられた室生犀星氏は、自身の如く文学の砦にこもることを得たものはいいが、まだ他人の厄介になって文学修業なんか念願しているような青年共は、この際文学なんかすてて戦線にゆけ、と、自身の永く苦・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・というものが組織されて、それはもと警保局長松本学と林房雄、中河与一等によって組織された文芸懇話会の拡大されたものであったことも記録されている。これも注目されていい。かつて保護観察所長をしていた思想検事の長谷川劉が、現在最高裁判所のメムバーで・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・それ以前、小林多喜二を記念する賞があったが、それは広汎な影響を持つ間なくして消され、一九三三、三四年ごろから芥川賞、直木賞、文芸懇話会賞等が出来た。丁度、一部の作家が文芸復興ということを唱え出し、而もそれには現実の根拠が薄いので一向実際の文・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・この三四年来、芥川賞、直木賞、文芸懇話会賞等々夥しい賞が懸けられ新人を招いている。ところで今日までこれらの賞を受けた人々は果して本質的な新人であったろうか。賞を与える側がその新人でないことに就いて消極的な言葉を添える有様であった。或る賞のた・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ 文芸院はその後形を変えて「文芸懇話会」となり、文芸院が概して大衆作家を主体としたのとちがって文芸懇話会はプロレタリア作家以外の純文学作家をも多数包括した。「文化の宝船に、文芸の珠玉を載せて、順風に金襴の帆を孕ませて行く。それが文芸懇話・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・多様化の欲求が一つの動機をなしていたのであろうが、それらの作品が好評を博したことは、当時の官民協力の気風と結びつき銃後の農村の重要性を文学も反映させなければならないという立前と結合して、官製の農民文学懇話会結成の気運を齎した。その懇話会賞も・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・の結成 噂のとおり、文芸懇話会が、最後に川端康成氏と尾崎士郎氏とに授賞して、十六日解散した。懇話会の主宰者・元警保局長松本学氏談として、帝国芸術院が出来上って、政府もわれわれの考えるような文化への態度を明らかにして来たから、芸術院に・・・ 宮本百合子 「近頃の話題」
・・・ 大石千代子さんは、ブラジルに十年の余も暮し、南洋にも暮し、書きたい題材はいっぱいあって苦しいくらいだという状態で、『山に生きる人々』という作品集を大陸開拓文芸懇話会の選書で出版していられる。 大石氏の題材は多く日本からの移民の生活・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
佐藤春夫氏の提唱によって、文芸懇話会の解散後「新日本文化の会」が出来た。同時に文部省が五十万円の補助金を出して、文部・外務・民間思想文化連合の統一体として財団法人「中央文化連盟」が結成された。先頃、帝国芸術院が出来て、一般・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
出典:青空文庫