・・・ 今は、自動車さえ往来をするようになって、松蔭の枝折戸まで、つきの女中が、柳なんぞの縞お召、人懐く送って出て、しとやかな、情のある見送りをする。ちょうど、容子のいい中年増が給仕に当って、確に外套氏がこれは体験した処である。ついでに岩魚の・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・女はまた一つの青い色の罎を取出しましたから、これから怨念が顕れるのだと恐を懐くと、かねて聞いたとは様子が違い、これは掌へ三滴ばかり仙女香を使う塩梅に、両の掌でぴたぴたと揉んで、肩から腕へ塗り附け、胸から腹へ塗り下げ、襟耳の裏、やがては太股、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・我々が懐く凡ゆる感情、例えば怒り、憎しみ、または愛にもせよ、凡ての感激、冒険といったようなものは、人生及び自然から生起してくる刺戟である。この人生及び自然の存在を措いて、現実はない筈である。それであるから現実に徹することは、自己の生活に徹す・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・当時の青年はこう一体に、何れも政治思想を懐くというような時で、北村君もその風潮に激せられて、先ず政治家になろうと決したのだが、その後一時非常に宗教に熱した時代もあった。北村君のアンビシャスであった事は、自ら病気であると云ったほど、激しい性質・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・私はこの警官に対して何となくいい感じを懐くと同時に自分の軽率な行為を恥じる心がかなり強く起った。 ここで自白しなければならない事は、私等が交番へはいると同時に、私は蟇口の中から自分の公用の名刺を出して警官に差出した事である。事柄の落着を・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫