・・・数馬はその途端に斬りこみましたゆえ、わたくしへは手傷も負わせずに傘ばかり斬ったのでございまする。」「声もかけずに斬って参ったか?」「かけなかったように思いまする。」「その時には相手を何と思った?」「何と思う余裕もござりませぬ・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守手疵養生不相叶致死去候に付、水野監物宅にて切腹被申付者也」と云うのである。 修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色もない。そ・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・後になって当夜の事をきいて見ると、春浪さんは僕等三人が芸者をつれて茶亭に引上げたものと思い、それと推測した茶屋に乱入して戸障子を蹴破り女中に手傷を負わせ、遂に三十間堀の警察署に拘引せられたという事であった。これを聞いて、僕は春浪さんとは断乎・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 末の世の尽きて、その末の世の残るまでと誓いたる、クララの一門に弓をひくはウィリアムの好まぬところである。手創負いて斃れんとする父とたよりなき吾とを、敵の中より救いたるルーファスの一家に事ありと云う日に、膝を組んで動かぬのはウィリアムの・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・その時某四十五歳に候。手創平癒候て後、某は十六年に江戸詰仰つけられ候。 寛永十八年妙解院殿存じ寄らざる御病気にて、御父上に先立、御卒去遊ばされ、当代肥後守殿光尚公の御代と相成り候。同年九月二日には父弥五右衛門景一死去いたし候。次いで正保・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・それに本多家、遠藤家、平岡家、鵜殿家の出役があって、先ず三人の人体、衣類、持物、手創の有無を取り調べた。創は誰も負っていない。次に永井、久保田両徒目附に当てた口書を取った。次に死骸の見分をした。酒井家に奉公した時の亀蔵の名を以て調書に載せら・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫