・・・髪の毛は、いくぶん長く、けれども蓬髪というほどのものではなし、それかと言ってポマアドで手入れしている形跡も見えない。あたりまえの鉄縁の眼鏡を掛けている。甚だ、非印象的である。それ故、訪問客たちは、お互い談論にふけり男爵の存在を忘れていること・・・ 太宰治 「花燭」
・・・きょうはこれから庭の畑の手入れをしようと思っています。トーモロコシが昨夜の豪雨で、みんな倒れてしまいました。 雨が永くつづいたせいか、脚がまた少しむくんで来たようで、このごろは酒もやめて居ります。温泉は、脚気の者にあまりよくないようです・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・途中、青扇とわかれ、いったん僕の家へ寄り頭髪の手入れなどを少しして、それから約束したとおり、すぐに青扇のうちへ出かけたのである。けれども青扇はいなかったのだ。マダムがひとりいた。入日のあたる縁側で夕刊を読んでいたのである。僕は玄関のわきの枝・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・とも気になさらず、私が、歯医者へおいでになるようにおすすめしても、いいよ、歯がみんな無くなりゃあ総入歯にするんだ、金歯を光らせて女の子に好かれたって仕様が無い、等と冗談ばかりおっしゃって、一向に歯のお手入れをなさらなかったのに、どういう風の・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・主人は、とても私を大事にしてくれるのだけれど、いつも間違った手入ればかりするのよ。私が喉が乾いて萎れかけた時には、ただ、うろうろして、奥さんをひどく叱るばかりで何も出来ないの。あげくの果には、私の大事な新芽を、気が狂ったみたいに、ちょんちょ・・・ 太宰治 「失敗園」
・・・時々宅の庭の手入れなどに雇っていた要太という若者があって、それが「鴫突き」の名人だというので、ある日それを頼んで連れて行ってもらった。 それは薄曇りの風の弱い冬日であったが、高知市の北から東へかけての一面の稲田は短い刈株を残したままに干・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ 庭の檜葉の手入れをしていた植木屋たちはしかし平気で何事も起こっていないような顔をして仕事を続けていた。 池の水がいつもとちがって白っぽく濁っている、その表面に小雨でも降っているかのように細かい波紋が現滅していた。 こんな微量な・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・営利に急なる財界の闘士が、早朝忘我の一時間を菊の手入れに費やすは一種の「さび」でないとは言われない。日常生活の拘束からわれわれの心を自由の境地に解放して、その間にともすれば望ましき内省の余裕を享楽するのが風流であり、飽くところを知らぬ欲望を・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 爺さんは植木屋の頭に使われて、其処此処の庭の手入れをしたり垣根を結えたりするのが仕事なのだ。それでも家には小金の貯えも少しはあって、十六七の娘に三味線を仕込などしている。遊芸をみっちり仕込んだ嫖致の好い姉娘は、芝居茶屋に奉公しているう・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「少し手入れをするといいんですけれど」辰之助はそう言って爪先に埃のついた白足袋を脱いでいたが、彼も東京で修業したある種類の芸術家なので、この町の多くの人がもっているようなお茶の趣味はもっていた。骨董品――ことに古陶器などには優れた鑑賞眼・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫