・・・それがいかにも手慣れた商人らしく彼には思われた。 帳簿に向かうと父の顔色は急に引き締まって、監督に対する時と同じようになった。用のある時は呼ぶからと言うので監督は事務所の方に退けられた。 きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 薄手のお太鼓だけれども、今時珍らしい黒繻子豆絞りの帯が弛んで、一枚小袖もずるりとした、はだかった胸もとを、きちりと紫の結目で、西行法師――いや、大宅光国という背負方をして、樫であろう、手馴れて研ぎのかかった白木の細い……所作、稽古の棒・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・空の勇士、選りぬきのエースが手馴れの爆撃機を駆って敵地に向かうときの心持には、どこかしら、亀さんが八かましやの隠居の秘蔵の柿を掠奪に出かけたときの心持の中のある部分に似たものがありはしないか。こんな他愛のないことを考えることもある。それはと・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・こんな時藤野は人の話を聞かぬでもなく聞くでもなく、何か不安の色を浮かべて考えているようであるが、時々かくしから手慣れた手帳を出してらく書きをしている。一夜夜中に目がさめたら山はしんとして月の光が竈の所にさし込んでいた。小屋の外を・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・はっきりして伍助への同情が学校にひろがって来る過程もリアリスティックにとらえられている。全体が自然に、わざとらしいところのない真情でかかれていてよいと思った。「青空」は手馴れたかきかたで、大人の常識と少年の心情のくいちがいのモメントをと・・・ 宮本百合子 「選評」
・・・ブルジョア作家は、昔から手馴れた技術を専一に、或は新興芸術派のように商品的新形式探究をやりながら、プロレタリア文壇に吼えつく。しかしプロレタリア文壇はその喧嘩には応じない。 みな忙しい。みな貪慾に、ブルジョア文壇の完成した技術的遺産を新・・・ 宮本百合子 「文壇はどうなる」
出典:青空文庫