・・・が、勝を譲ったと云う事が、心あるものには分るように、手際よく負けたいと云う気もないではなかった。兵衛は甚太夫と立合いながら、そう云う心もちを直覚すると、急に相手が憎くなった。そこで甚太夫がわざと受太刀になった時、奮然と一本突きを入れた。甚太・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・桜の花や日の出をとり合せた、手際の好い幕の後では、何度か鳴りの悪い拍子木が響いた。と思うとその幕は、余興掛の少尉の手に、するすると一方へ引かれて行った。 舞台は日本の室内だった。それが米屋の店だと云う事は、一隅に積まれた米俵が、わずかに・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・それからその机の側にある、とうにニスの剥げた茶箪笥の上には、頸の細い硝子の花立てがあって、花びらの一つとれた造花の百合が、手際よくその中にさしてある。察する所この百合は、花びらさえまだ無事でいたら、今でもあのカッフェの卓子に飾られていたのに・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・と、お敏と荒物屋のお上さんとを等分に見比べて、手際よく快活に笑って見せました。勿論何も知らない荒物屋のお上さんは、こう云う泰さんの巧な芝居に、気がつく筈もありませんから、「じゃお敏さん、早く行ってお上げなさいよ。」と、気忙わしそうに促すと、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・それも中々手際よくは出来ない。 レリヤはそれを見て吹き出して、「お母あさんも皆も御覧よ。クサカが芸をするよ。クサカもう一反やって御覧。それでいい、それでいい」といった。 人々は馳せ集ってこれを見て笑った。クサカは相変らず翻筋斗をした・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・した腰つきで、井戸から撥釣瓶でざぶりと汲上げ、片手の水差に汲んで、桔梗に灌いで、胸はだかりに提げた処は、腹まで毛だらけだったが、床へ据えて、円い手で、枝ぶりをちょっと撓めた形は、悠揚として、そして軽い手際で、きちんと極った。掛物も何も見えぬ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・「さあ、君、ここへ顔を出したり、一つ手際を御覧に入れないじゃ、奥さん御信用下さらない。」「いいえ、そうじゃありませんけれどもね、私まだ、そんなでもないんですから。」「何、御遠慮にゃあ及びません。間違った処でたかが小僧の顔でさ。…・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・きみのお手際で膳につけておくんなすったのが、見てもうまそうに、香しく、脂の垂れそうなので、ふと思い出したのは、今の芸妓の口が血の一件でね。しかし私は坊さんでも、精進でも、何でもありません。望んでも結構なんだけれど、見たまえ。――窓の外は雨と・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・緋も桃色に颯と流して、ぼかす手際が鮮彩です。それから鯉の滝登り。八橋一面の杜若は、風呂屋へ進上の祝だろう。そんな比羅絵を、のしかかって描いているのが、嬉しくて、面白くって、絵具を解き溜めた大摺鉢へ、鞠子の宿じゃないけれど、薯蕷汁となって溶込・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・かつこの反対の側から同じ結論に達する議論を組立てる手際が頗る鮮かであった。 負け嫌いの甚だしいは、人に自分の腹を看透かされたと思うと一端決心した事でも直ぐ撤去して少しも未練を残さなかった。かつて二葉亭の一身上の或る重要な問題について坪内・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫