・・・「この頃は折角見て上げても、御礼さえ碌にしない人が、多くなって来ましたからね」「そりゃ勿論御礼をするよ」 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 主筆 それじゃ折角の小説は…… 保吉 まあ、お聞きなさい。妙子はその間も漢口の住いに不相変達雄を思っているのです。いや漢口ばかりじゃありません。外交官の夫の転任する度に、上海だの北京だの天津だのへ一時の住いを移しながら、不相変達雄・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・けれども折角そこまで来ていながら、そのまま引返すのはどうしてもいやでした。で、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。「ひきがしどいね」・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・乾燥が出来ないために、折角実ったものまで腐る始末だった。小作はわやわやと事務所に集って小作料割引の歎願をしたが無益だった。彼らは案の定燕麦売揚代金の中から厳密に小作料を控除された。来春の種子は愚か、冬の間を支える食料も満足に得られない農夫が・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 俊吉は呼吸がはずんで、「せ、せ、折角だっけ、……客は帰ったよ。」 と見ると、仏壇に灯が点いて、老人が殊勝に坐って、御法の声。「……我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・腕車やら、汽車やらで、新さん、あなたもお疲れだろうに、すぐこんなことを聞かせまして、もう私ゃ申訳がございません。折角お着き申していながら、どうしたら可いでしょう、堪忍なさいよ。」 菊の露「もうもう思入ここで泣いて、ミ・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・「いや御馳走になって悪口いうなどは、ちと乱暴過ぎるかな。アハハハ」「折角でもないが、君に取って置いたんだから、褒めて食ってくれれば満足だ。沢山あるからそうよろしけば、盛にやってくれ給え」 少し力を入れて話をすると、今の岡村は在京・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 母は折角言うていったんは帰したものの、初めから危ぶんでいたのだから、再び出てきたのを見ては、もうあきらめて深く小言も言わない。兄はただ、「しようがないやつだなあ」 こう一言言ったきり、相変らず夜は縄をない昼は山刈りと土肥作りと・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ところが生憎不漁で休みの札が掛っていたので、「折角暴風雨の中を遥々車を飛ばして来たのに残念だ」と、悄気返って頻に愚痴ったので、帳場の主人が気の毒がって、「暫らくお待ち下さいまし」と奥へ相談に行き、「折角ですから一尾でお宜しければ……」といっ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・「煙草と同じでんで、折角仕事しても、それじゃ何にもならんじゃないか。仕事をへらして、少しは銀行へも足を運んだ方が得だぜ」「へらしてみたところで同じことだよ。今の半分にへらしても、やはり年中仕事のことを考えてるし、また年中仕事をしてい・・・ 織田作之助 「鬼」
出典:青空文庫