・・・ こっちはただの帆前船で、逃げも手向いも出来たものじゃねえ、いきなり船は抑えられてしまうし、乗ってる者は残らず珠数繋ぎにされて、向うの政府の猟船が出張って来るまで、そこの土人へ一同お預けさ」「まあ! さぞねえ。それじゃ便りのなかったのも・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・の三面小説を読んでいると、その小説の挿絵が、呀という間に、例の死霊が善光寺に詣る絵と変って、その途端、女房はキャッと叫んだ、見るとその黒髪を彼方へ引張られる様なので、女房は右の手を差伸して、自分の髪を抑えたが、その儘其処へ気絶して仆れた。見・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ 曖昧に断りながら、ばつのわるい顔をもて余して、ふと女の顔を見ると、女は変に塩垂れて、にわかに皺がふえたような表情だった故、私はますます弱点を押さえられた男の位置に坐ってしまった。莫迦莫迦しいことだが、弁解しても始まらぬと、思った。男の・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐のあることのように峻には思えた。「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 糸につれて唄い出す声は、岩間に咽ぶ水を抑えて、巧みに流す生田の一節、客はまたさらに心を動かしてか、煙草をよそに思わずそなたを見上げぬ。障子は隔ての関を据えて、松は心なく光琳風の影を宿せり。客はそのまま目を転じて、下の谷間を打ち見やりし・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と今来た男は捨てばちに言って、投げるように腰掛けに身をおろして、両手で額を押え、苦しい咳をした。年ごろは三十前後である。「そう気を落とすものじゃアない、しっかりなさい」と、この店の亭主が言った。それぎりでたれもなんとも言わない、心のうち・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・奔馬のように狂う恋情を鋭い知性や高い意志で抑えねばならぬ。私の場合ではそれほどでもない女性に、目くもって勝手に幻影を描いて、それまで磨いてきた哲学的知性もどこへやら、一人相撲をとって、独り大負傷をしたようなものだ。これは知性上から見て恥であ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・モスクワへ行きたい希望を抑えることができなかった。黒河に住んで一年になる。いつか、ブラゴウエシチェンスクにも、顔見知りが多くなっていた。 黒竜江にはところどころ結氷を破って、底から上ってくる河水を溜め、荷馬車を引く、咽頭が乾いた馬に水を・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・と捲し立ててなおお浪の言わんとするを抑えつけて、「いいよ、そんなに云わなくったって分っているよ。おいらあ無暗に逃げ出したりなんぞしようと思ってやしないというのに。」と遮る。「おや、まだ強情に虚言をお吐きだよ。それほど分ってい・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 俺がヒリ/\する頬を抑えていると、ニヤ/\笑いながら、「こゝは銀座の床屋じゃないんだからな。」 と云った。 赤色体操 俺だちは朝六時半に起きる。これは四季によって少しずつ違う。起きて直ぐ、蒲団を片付け、・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫