・・・と刃についた毛を人さし指と拇指で拭いながらまた源さんに話しかける。「全く神経だ」と源さんが山桜の煙を口から吹き出しながら賛成する。「神経って者は源さんどこにあるんだろう」と由公はランプのホヤを拭きながら真面目に質問する。「神経か・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・大テーブルに向って、両肱をついて両手を額に当て、まわりのうるささをふせぐために拇指で耳をふさいで、マリヤが何かはじめたら、もう彼女の頭脳は吸いこむように働きはじめ、驚くばかりの記憶力のなかへそれをたたみ込むのでした。女学生時代の写真を見ると・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・ 網野さんは軽く拇指と人さし指の先で自分の腕をつまんだ。「じゃ、私はどうです」「私は?」 網野さんは真面目な顔で差しだされた腕を一々抓み、「すこうし――ね?」と云った。「どれ」 今度は私共が各やって見た。子供・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ いつもいつも物を考える時はきっとする様に、男みたいな額の角を人指し指と拇指で揉みながら、影の様にガラスの被の中で音も立てずに廻って居る時計だの、その前のテーブルの上に置いてある花の鉢だのを眺め廻す。 くすんだ様な部屋の中に、ポッツ・・・ 宮本百合子 「草の根元」
・・・ 手を引っぱられて金網の外からのぞくと、拇指位のやせたのが三つ四つ見えるだけで、掌の長さ位になっていい形恰にくくれて肥ったのが見つからない。「見えないじゃあないのと云うと、あっちへ馳けたり此っちへ馳けたりして葉かげをのぞいたがど・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・―― 間を置いて、私は歯の間から一言、一言を拇指で押すように云った。「――然し、それは窮極において一時の細工だ。歴史は必ず進むように進むからね、帝政時代のロシアでは、サバトフが同じようなことをやった。しかしロシアの労働者は、それを凌・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 日本女はリノリューム敷の通路を隔て左側の坐席にいる四十ばかりの太い拇指をした男にきいた。 ――彼女の演説、長うござんしたか? ――我々ソヴェトの人間は短く話すのが得手でないんでね。 そう云って笑った。それから真面目につけ加・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・一年半ばかりゴロゴロ そこの妻君の兄のところへうつる、 そこはい難いので夜だけ富士製紙のパルプをトラックにつんで運搬した、人足 そしたら内になり 足の拇指をつぶし紹介されて愛婦の封筒書きに入り居すわり六年法政を出る、「あすこへ入らな・・・ 宮本百合子 「SISIDO」
・・・悪に誘われ――それが悪とさえわきまえず悪におちいる少年少女の、垢のついた小さい十本の指を、拇指から小指へとくっきり指紋にとって、それを何万枚警視庁にためて分類したとしても、わたしたちの日本の苦しみと悲しみはへりはしない。 警視庁の役人は・・・ 宮本百合子 「指紋」
・・・ そしてそのかなり調子のなだらかな言葉を自分の髪の中に編み込む様に耳を被うてふくれた髪を人指指と拇指の間で揉んで居た。 のけものにされた様にして居た篤は千世子に髪の結い方をきいた。「何んになさるんです? 私の髪なんか。」・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
出典:青空文庫