・・・文芸上の作物は巧いにしろ拙いにしろ、それがそれだけで完了してると云う点に於て、人生の交渉は歴史上の事柄と同じく間接だ、とか何んとか。それはまあどうでも可いが、とにかくおれは今後無責任を君の特権として認めて置く。特待生だよ。A 許してくれ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・たまたまそれらの新運動にたずさわっている人々の作を、時おり手にする雑誌の上で読んでは、その詩の拙いことを心ひそかに喜んでいた。 散文の自由の国土! 何を書こうというきまったことはなくとも、漠然とそういう考えをもって、私は始終東京の空を恋・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・水に拙いのであろう。喘ぐ――しかむ、泡を噴く。が、あるいは鳥に対する隠形の一術であろうも計られぬ。「ばか。」 投棄てるようにいうとともに、お誓はよろよろと倒れて、うっとりと目を閉じた。 早く解いて流した紅の腹帯は、二重三重にわが・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・それがために、いとど拙い口の、千の一つも、何にも、ものが言われなかったのであります。「貴女は煙草をあがりますか。」 私はお米さんが、その筒袖の優しい手で、煙管を持つのを視てそう言いました。 お米さんは、控えてちょっと俯向きました・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 私は弁舌は拙いですけれども、膃肭臍は確です。膃肭臍というものは、やたらむたらにあるものではない。東京府下にも何十人売るものがあるかは知らんですがね、やたらむたらあるもんか。」 と、何かさも不平に堪えず、向腹を立てたように言いながら・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・殊に江戸文化の爛熟した幕末の富有の町家は大抵文雅風流を衒って下手な発句の一つも捻くり拙い画の一枚も描けば直ぐ得意になって本職を気取るものもあった。その中で左に右く画家として門戸を張るだけの技倆がありながら画名を売るを欲しないで、終に一回の書・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・やっぱり字の書きようが拙いので、読めにくくってそれで遅れたんでございましょうね。それじゃお光さんにも読みづらかったでしょう、昔者の私が書いたのですからねえ」「いいえ、そんなことはありませんよ。私にはよく分りましたけど、全くそういうわけで・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・けれども元大先生からして自己流ですから弟子も皆な自己流で、ただむやみと吹くばかり、そのうち手が慣れて来れば、やれ誰が巧いとか拙いとかてんでに評判をし合って皆なで天狗になったのでございます。私の性質でありましょうか、私だけは若い者の中でも別段・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・それはやはり自分の運命が拙いのであって、人間が初めから別離の悲哀を思うて恐れをもって相対することをすすめる気にはもちろんなれない。やはり自然に率直に朗らかに「求めよさらば与えられん」という態度で立ち向かうことをすすめたい。 けれども有限・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・題の付けようが少し拙いか知れませんが、私の申し上げてみようというのは、その当時、即ち馬琴が生存して居た時代との関係が、どんな工合であろうかという点にあるのでございます。ただしかように申しますと、非常に広い問題になりまして、どうも一席の御話に・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
出典:青空文庫