・・・例えば毒殺の嫌疑を受けた十六人の女中が一室に監禁され、明日残らず拷問すると威される、そうして一同新調の絹のかたびらを着せられて幽囚の一夜を過すことになる。そうして翌朝になって銘々の絹帷子を調べ「少しも皺のよらざる女一人有」りそれを下手人と睨・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・十歳ぐらいのころ初めて歯医者の手術椅子一名拷問椅子にのせられたとき、痛くないという約束のが飛び上がるほど痛くて、おまけにそのあとの痛みが手術前の痛みに数倍して持続したので、子供心にひどく腹が立って母にくってかかり、そうしてその歯医者の漆黒な・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・こうした長尻の客との対坐は、僕にとってまさしく拷問の呵責である。 しかし僕の孤独癖は、最近になってよほど明るく変化して来た。第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍って来た。青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 私は、その役にも立たない、腐った古行李をもう担いで歩くのが、迚も重くて、足に対して堪えられない拷問になって来た。 道は上げ潮の運河の上の橋にかかっていた。私は橋の上に、行李を下してその上に腰をかけた。 運河には浚渫船が腰を据え・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 彼は、拷問の事に考え及んだ時、頭の中が急に火熱るのを覚えた。 そのために、彼が土竜のように陽の光を避けて生きなければならなくなった、最初の拷問! その時には、彼は食っていない泥を、無理やりに吐き出さされた。彼の吐いたものは泥の代り・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ デッキでは、セーラーたちが、エンジンでは、ファイヤマンたちが、それぞれ拷問にかかっていた。 水夫室の病人は、時々眼を開いた。彼の眼は、全で外を見ることが能きなくなっていた。彼は、瞑っても、開けても、その眼で、糜れた臓腑を見た。云わ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ひどい拷問にあっていることがわかった。妻には着物のさし入れさえさせなかった。正月二日に山口県の田舎へ行って、宮本の母を東京につれて来て、面会を要求し、やっと生きている姿をたしかめた。以来十二年間宮本の獄中生活がつづいた。一月十五日には私も検・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・一人の人間の髪の毛をつかんで、ずっぷり水へ漬け、息絶えなんとすると、外気へ引きずり出して空気を吸わせ、いくらか生気をとりもどして動きだすと見るや、たちまち、また髪を掴んで水へもぐらせる、拷問そっくりの生活の思いをさせた。 一九三二年の春・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・そこでステッキで拷問された労働者の娘を見た。と、いたずらにあれやこれやをちりぢりばらばらに認識し、それをかき集めたところで作品は書けない。われわれの努力は、より強固にされ、明確にされた政治性――党派性によって客観的に現実を理解し、文学運動に・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・翌一九三三年の二月二十日に小林多喜二が築地署で拷問のために虐殺された。つづいて、野呂栄太郎が検挙され、このひとは宿痾の結核のために拷問で殺されなくても命のないことは明白であると外部でも噂されている状態だった。 一九三三年は、日本の権力が・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
出典:青空文庫