・・・「着物どころか櫛簪までも、ちゃんと御持参になっている。いくら僕が止せと云っても、一向御取上げにならなかったんだから、――」 牧野はちらりと長火鉢越しに、お蓮の顔へ眼を送った。お蓮はその言葉も聞えないように、鉄瓶のぬるんだのを気にして・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
一 朝――この湖の名ぶつと聞く、蜆の汁で。……燗をさせるのも面倒だから、バスケットの中へ持参のウイスキイを一口。蜆汁にウイスキイでは、ちと取合せが妙だが、それも旅らしい。…… いい天気で、暖かかった・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・してみると、おなじ獺でも山獺が持参するので、伝説は嘘でない。しかし、お町の――一説では、上流五里七里の山奥から山爺は、――どの客にも言うのだそうである。 水と、柳のせいだろう。女中は皆美しく見えた。もし、妻女、娘などがあったら、さぞ妍艶・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ それ、持参の昼提灯、土の下からさぞ、半間だと罵倒しようが、白く据って、ぼっと包んだ線香の煙が靡いて、裸蝋燭の灯が、静寂な風に、ちらちらする。 榎を潜った彼方の崖は、すぐに、大傾斜の窪地になって、山の裙まで、寺の裏庭を取りまわして一・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・それは明日午前十時に、下に書き記してある停車場へ拳銃御持参で、おいで下されたいと申す事です。この要求を致しますのに、わたくしの方で対等以上の利益を有しているとは申されますまい。わたくしも立会人を連れて参りませんから、あなたもお連にならないよ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・縹致よりは支度、支度よりは持参、嫁の年よりはまず親の身代を聞こうという代世界だもの、そんな自惚れなんぞ決してお持ちでないって、ねえ、そう言ったことですよ」「だって、何ぼ今の代世界だって、阿母さんのようにそう一概に言ったものでもありません・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・豹一はそれを教室へ持参し、クラスの者に見せた。彼らはかねてこのことあるを期待していたが、見せられると偽の手紙やろ。お前が書いたんと違うかと言わざるを得なかった。豹一は同級生がこっそり出していた恋文を紀代子からむりやりに奪い取って、それを教室・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ そして、そのことはまた、もし二人が隊長の定めた時間内に、鶏を持参して帰らなければ、「鶏の徴発が出来んとは、貴様はそれでも日本軍人か、いやしくも日本の軍人である限り、百姓どもは喜んで鶏を提出する筈だ。――さては貴様らは俺に鶏を食べさ・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内して大いに飲み、そろそろ酒が苦痛になりかけて来た時に、雑誌社の編輯者が、たぶんここだろうと思った、と言ってウイスキー持参であらわれ、その編輯者の相手をしてま・・・ 太宰治 「朝」
・・・ 私の長兄も次兄も三兄もたいへん小説が好きで、暑中休暇に東京のそれぞれの学校から田舎の生家に帰って来る時、さまざまの新刊本を持参し、そうして夏の夜、何やら文学論みたいなものをたたかわしていた。 久保万、吉井勇、菊池寛、里見、谷崎、芥・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫