・・・彼の振分けの行李の中には、求馬左近甚太夫の三人の遺髪がはいっていた。 後談 寛文十一年の正月、雲州松江祥光院の墓所には、四基の石塔が建てられた。施主は緊く秘したと見えて、誰も知っているものはなかった。が、その石塔が建・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・一条の路を隔てて、数百の燈火の織目から抜出したような薄茫乎として灰色の隈が暗夜に漾う、まばらな人立を前に控えて、大手前の土塀の隅に、足代板の高座に乗った、さいもん語りのデロレン坊主、但し長い頭髪を額に振分け、ごろごろと錫を鳴らしつつ、塩辛声・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・「御茶壺」になるのですナ。 で、其の御茶壺旅行の出来るようになったのは文明の庇陰なのですから、今後はもう「きりをの草鞋」「紺の甲掛け」「三度笠」「桐油合羽」「振り分けにして行李を肩に」なんていう蛮カラ的の事は要せぬようになりまして、男子・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・その頃の羅宇屋は今のようにピーピー汽笛を鳴らして引いて来るのではなくて、天秤棒で振り分けに商売道具をかついで来るのであったが、どんな道具があったかはっきりした記憶がない。しかしいずれも先祖代々百年も使い馴らしたようなものばかりであった。道具・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・朱漆で塗った地に黒漆でからすの絵を描いたその下に烏丸枇杷葉湯と書いた一対の細長い箱を振り分けに肩にかついで「ホンケー、カラスマル、ビワヨーオートー」と終わりの「ヨートー」を長く清らかに引いて、呼び歩いていたようにも思うし、また木陰などに荷を・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ 列車は、食堂車を中に挟んで、二等と三等とに振り分けられていた。 彼は食堂車の次の三等車に入った。都合の良い事には、三等車は、やけに混雑していた。それは、網棚にでも上りたいほど、乗り込んでいた。 その時はもう、彼の顔は無髭になっ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・そして、四日の午後四時五十七分、総ての荷物を郷里に遺し、ただ食糧だけを二人で背負う振り分けの荷に作って、福井を出発した。福井市の彼方此方では、当局者の所謂流言蜚語が、実に熾んで、血腥い風が面を払うようであった。もう二三十分で列車が出る時にな・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫