・・・すると果して吉助は、朝夕一度ずつ、額に十字を劃して、祈祷を捧げる事を発見した。彼等はすぐにその旨を三郎治に訴えた。三郎治も後難を恐れたと見えて、即座に彼を浦上村の代官所へ引渡した。 彼は捕手の役人に囲まれて、長崎の牢屋へ送られた時も、さ・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・聖像の前に最後の祈を捧げると、いそいそとして立上った。そして鏡を手に取って近々と自分の顔を写して見た。それが自分の肉との最後の別れだった。彼女の眼にはアグネスの寝顔が吸付くように可憐に映った。クララは静かに寝床に近よって、自分の臥ていた跡に・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・車掌は踏台から乗り出すようにして、ちょっと首をかしげて右の手でものを捧げるような手つきをしながら「もう一枚頂きましょう」と云ってニヤニヤした。 下り立った街路からの暑い反射光の影響もあったろうし、朝からの胃や頭の工合の効果もあったかもし・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そこで私は立って窓枠にのせてあった草花の鉢をもって片隅に始めから黙って坐っていた半白の老寡婦の前に進み、うやうやしくそれを捧げる真似をしたら皆が喜んでブラボーを叫んだり手と拍いたりした。その時主婦のルコック夫人が甲高い声を張上げて Elle・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・と共に併せて地下に捧げる。 どつしりと尻を据えたる南瓜かなと云う句も其頃作ったようだ。同じく瓜と云う字のつく所を以て見ると南瓜も糸瓜も親類の間柄だろう。親類付合のある南瓜の句を糸瓜仏に奉納するのに別段の不思議もない筈だ。そこで序な・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・それはわたくしが十六年前にあなたにいたしたような、はにかみながらのキスに籠もっているほどの物を、どの女もあなたに捧げることは出来まいと存じているのでございます。 わたくしはこんな夢を見て暮らしているうちに、ある日わたくしの夫婦生活の平和・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・今日こそ、ただの一言でも天の才ありうるわしく尊敬されるこの人とことばをかわしたい、丘の小さなぶどうの木が、よぞらに燃えるほのおより、もっとあかるく、もっとかなしいおもいをば、はるかの美しい虹に捧げると、ただこれだけを伝えたい、それからならば・・・ 宮沢賢治 「マリヴロンと少女」
・・・を滅して、命までを捧げるべき「公」と云われたものの本体は、たった一握りの特権者たちの、「私」の利益であったことが明瞭にされました。 自分のこころもち、自分の考えを、どこまでも私ごとという、カラの中に封じておくならば、決して社会は進歩・・・ 宮本百合子 「公のことと私のこと」
・・・ これを私は私のどこかの身にそって居る我が妹の魂に捧げる。 仕立て上げて手も通さずにある赤い着物を見るにつけ桃色の小夜着を見るにつけて歎く姉の心をせめて万が一なりと知って呉れたら切ない思い出にふける時のまぼろしになり夢になり只一言で・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・或時は 常春藤の籠にもり或時は 石蝋の壺に納め心 はるばると、祈りを捧げる 神よ、四時の ささやかな人間の寄進を 納め給え、と。冬見た私を、今日同じ私だと思うだろうか?又、雄々しい活力が、今私の心を揺る、・・・ 宮本百合子 「五月の空」
出典:青空文庫